まつひとはけしきをなげく

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数日前、女は男に会った直後、瀑布にさしかかる橋りょうから身を投げようと、手すりから身を乗り出していた。 背中を、誰かに……正しくは、男に押されたのだという。 お前は正しい選択をした。 お前はここで全てを棄てて、詫びろ。 世の中に迷惑をかけた罪だ。 耳元で確かに、男の声でそう唆すような、甘く誘うような声が聞こえて、飛び込んだのだという。 幸いにも、落下防止にはっていたネットに絡まり宙に浮いたおかげで、怪我と失神で済んだのであった。 連れてきたのは唆した男であり、どこまでも嘘をつき、精一杯に善人を演じていた。 女は自分を恥じ、嘆き、男を待っている。 ああ、私はなんと罪深く浅ましく、痛々しい者でしょう。 彼は正しいことをしている、と私をほめてくれたのに。 粗忽で、恥さらしです。 女はさめざめと泣き、助言を施す医師たちを困らせていた。 心を治す病院なゆえ、男が避けたくなる相手が多い。 ゆえに、女が望む相手はいまだに現れず、床にうずくまり、ときおり窓から外を覗き、涙を流す。 お金さえ払えば、あとはいいですよね。 受付で男が朗らかな顔で放った言葉に、周囲は眉をしかめた。 女は待っている。 来ないであろう男を。 哀れに、夢見がちに。 傷つけられ、心を壊され、なにもかも脱け殻になっても、欠片ほど厭わずに。 恋情とは、相手によって地獄を生むものなんだろうね。 気まぐれにやってきて、看護師と談笑していたさいに、不意に院長だという初老の、口ひげをはやした白髪頭をした医師が呟いた。 看護師たちは、悲しげにうつむいていた。 それが、肯定の意味だとあらわすように。
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