第1章

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父親がそう言い切った途端、 その心を表すように、ピタリとベッドの揺れは止まる。 …もしかしてこの青年の初恋の人とか? 「…どうした。何も申さぬというのは、 やはりおまえも少なからず菫を気に入っておったか」 的を得たりとばかりに父親は言ったが、 青年は即座に否定した。 「…違いますよ。 確かに幼き頃から彼女とは親しき間柄です。 だが検討違いも甚だしい。 僕は呆れ返っているんですよ父上。 なぜなら父上がなぜこの場で菫嬢の名を出されたのか、容易に推測できるからです」 「ほう…。ならば申してみよ。 おまえの推測とやらを」 「…ただちに結婚せよとでもおっしゃるのでしょう。そして世に習い、すぐ様未亡人になるやもしれぬ悲劇の妻を作れと。 …違いますか?」 「…そうだ。おまえの妻となる娘は、 私の竹馬の友である久松(ひさまつ)義成の一人娘。 しかも久松家は同じ華族だ。 四門家にもこれ以上の良縁はあるまい。 …それにまだ悲劇の妻と決まった訳ではない。おまえは妻である菫の為、這いずってでも戦地から戻るのだ。 …もしその自信無くば、せめて出陣前に子を為し残していけ。 …四門家の血を絶やしてはならん。 返事は私が末の軍法会議から戻るまで有余をやる。わかったな」 「…朝までダンスだって踊れるこの体を不可にされることも、菫嬢の人生を無駄にしてまうことも、到底僕には理解しがたい行為だ。 それに菫嬢はこのことをどう思われているんでしょうか? 久松氏だって、旧知であるあなたの頼みを断れずにいるのでは?」 「…徴兵検査などどうにでもなる。 …それに義成や娘のことも心配は無用だ。 なぜならその提案をしてきたのは、他ならん向こうからだからだ」 「…向こうから…?」 「…そうだ。会議には義成も出席していた。杉田との話をヤツは聞いていて、 先に帰ろうとする私を呼び止めこう言ったのだ。『…学徒出陣のその前に、どうか我が娘の希望を叶えてもらう訳にはいかないか』とな…。聞けば菫嬢に縁談話が持ち上がった際、おまえの名前が出たそうだ。 幼き頃からずっとおまえを慕っており、 後にも先にも私には海里様以外おりませんと申したそうだ。あのように可憐で清楚な娘が、常日頃突飛な言動ばかりのおまえを其ほどまでに好いてくれておるのだ。 意義などある訳がない」
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