第1章

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窮地に立たされた青年の苦悩。 だがそれは私の腕の痺れに勝るものではなかった。 妙な姿勢でベッド下にいたせいか、 ちりちりと腕は痺れ、脚などはもう感覚がない。 そして青年の苦悩など、 (しかも私はあんな目にあったしだ) 私にはまるで無関係なもの。 ついつい必死になっていたが、 あまりにも非現実な展開がこうも繰り広げられては、 やはりこれは夢の中ではと疑いを持った。 そしてこれからやはりこれは夢だと確信するにつれ、背に羽の生えた青年が空を飛び、 キヌさんが豚になる可能性だってある。 「…菫嬢が僕を…」 「…どうだ海里、心変わりしたか? 何なら書類の所からやり直してもかまわんぞ」 「…そうですね、父上」 そう青年が言うや否や、 私の視界は突如ぐるりと変わった。 腕を一気に引き上げられ、 荷物のように表に出される。 「………わっ…いやっ…ちょっと…!」 我ながらこれ程惨めな格好はなかった。 キヌさんからかけられた浴衣に帯はなく、もしこれが動画サイトにアップされでもしたら生きていけない。 そして虫のように縮こまる私に、 上から声が降ってきた。 「…なんじゃこの娘は…!? …どうしてシヅ江の部屋にこのように小汚い娘がおるっ!…しかもその乱れた寝間はなんだっ!恥を知れっ!」 土竜(もぐら)はきっと、土の中から無理矢理出されたら、同じ光と恐怖を受けるのだろう。 其ほど溢れる陽光はひたすらに眩しく、 肩越しにちらと見上げた声の主は、 恐怖そのものと化していた。 勲章らしきものがこれでもかとばかりに付いた黒い軍服。 その軍服の上にある顔は、日本史の教科書で見かける偉い人と数々の共通点がある。 偽物に見えてしまう程立派な口髭や、 心臓をつかみ出しそうな鋭い眼光等がそれで、頬にあるシミすら威厳のあるものに映し出すそのオーラは、 対峙するものから動きさえ取り上げてしまいそうだった。
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