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――――二月某日。
暦の上で立春は過ぎたとはいえ、実際には春はまだ遠い。
しかし、ここ数日の晴天がもたらした、早咲きの桜と梅の花の見事な競演は、いま自分の目を存分に楽しませてくれている。
「うーん、綺麗だなぁ。最高の出勤コースだよねぇ」
目に嬉しい紅白と薄紅。色とりどりの花々を楽しみながら公園通りをゆっくりと抜ければ、もう目的地だ。
パティスリー・eins。
やっと持つことができた、自分の店。
店の外観も内装も、修業時代を過ごしたウィーンのパティスリーを参考に業者に提案し、理想通りに作り上げることができた。
「ふふっ。でもねぇ、一番こだわったのは、看板なんだよねぇ」
そう。店名を彫り抜いた店頭の看板。
それは、良質の欅を選別するところからこだわり、自分で丁寧に製作したものだ。
「特別な人の名前をもらってるんだもん。当たり前だけどぉ……ん?」
あれ?
思わず、目をこすった。
見間違いだろうか。
「いや、そんなわけないよ」
見間違えるわけない。大好きな人を。
欧州風のレトロな木製の扉前に横たわっている、その人物――
「いっちゃん!?
なんで、チカの店の前で行き倒れてんのっ?
うっぎゃあー! 口から血が! 口から血がぁーっ!」
春まだ遠い、如月の朝。
透き通った少し高めの声が絶叫となり、静謐な空気を切り裂いて、辺り一面に響き渡った。
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