桜の木の下の約束

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桜の木の下の約束

 ――燦燦と輝く陽に照らされて、一本の桜木が風に揺られていた。  春の陽気に誘われて蕾はほころび、綺麗な花が、今にも散ってしまいそうな勢いで咲いている。その木陰にふたりの男女。  こう言えば、どのような顔がふたりの顔として思い浮かぶだろうか。  どのような男女が桜の木の下に似合わしいだろうか。桜の木の下の約束と言えばどのようなものを思い浮かべるだろうか。 「ふぇっくしゅい!」  ナースセンターに轟くほどの大きなくしゃみをひとつ。ようやく冬の寒さが終わったと思えば、間髪入れずにこれがやってくる。鼻の奥の蛇口が弛んでいるようで、無益な鼻水を途方もなくどばどばと大量生産している。これさえなければ、4月の憂鬱から5月病まで飛んで行ってバリバリ働けるのに。そんな無益な愚痴も頭の中で四六時中垂れ流しだ。 「千春ちゃんのくしゃみ、鼻水すする音……。すっかり春だねえ」 「他人の苦しみで春を感じないでくれる?」 「あ、見てくださいよ先輩! 病院の庭の桜が咲き始めてますよ!」 「本当だ、やっぱり千春ちゃんの春の知らせは間違いないわ」 「春の知らせ、逆だよね? 桜の咲き始めに春を感じろよ!」  こっちが苦しんでいるというのに、同情の言葉も差し向けないどころか、『春の知らせ』と呑気な言葉を抜かす。先輩や同僚たちの態度にあきれ果て、千春は大きなため息をひとつ。周りを見渡せば、窓の外を見てまどろんでいる皆が羨ましくてたまらなくなる。自分が窓から目を背けて机の上の書類に目を通しているのは、外からの空気が流れ込んでくる窓の方を見やれば、目がしょぼしょぼして涙が止まらなくなってしまうからだ。
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