第一章  お江戸は今日も大騒ぎ

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 2・  南町奉行所の月番も、残すところあと十日に迫った小寒い夜のこと。  小料理屋“梅若”の離れ座敷には、粋な三味線をつま弾く常磐津の師匠、あの辰治の想い人の美代鶴の艶姿があった。  その美代鶴を横に侍らせて盃の酒を口許に運んでいるのは、定火消しを預かる旗本の一人、長内佐兵衛である。  「美代鶴、お前の色香は恐ろしいのぉ。あの硬派で知られた左文字組の辰治が、あれ程骨の抜きになるとはのぉ」  ふっふっふ、と意味深な笑いを漏らした。  「秀治と仲違いさせるとは、でかしたぞ。ようやった」  三味線を弾く美代鶴を抱き寄せると、耳元で囁いたのである。  片手を着物の合わせ目に差し込む。  「あぁ・‥」、あえかな声が美代鶴の唇から漏れた。  「‥何の事やら‥企んだのは、殿様じゃァありませんか」  三味線をわきに置いて、長内佐兵衛にしな垂れかかった。  長内佐兵衛にとって、定火消しは大事な金づるである。持っているだけで、ふれば金が湧いて出る“打ち出の小槌”だ。火を消すたびに、火が出た町内から謝礼がたんまりと転がり込む。  ボヤほど儲かるものはない。それ故に【赤猫】を操った佐兵衛である。  臥煙どもは、金次第で如何にでもなる。  そしてまた、臥煙の力無しでは火消しが成り立たないことも、誰よりも知っていた。 今度の町火消の一件は、吉宗様のお声掛りだ。町火消しはやがて、必ず設立されるだろうと踏んでいる。今は金の問題で渋っている町名主どもも、其のうちに折れて鳶職を町火消しに雇うだろうと思っていた。 定火消しの “打ち出の小槌”の価値は、もう直ぐなくなる。ここは、町火消しを手に入れると決めていた。  (その町火消しを抱える町内だが、何処が一番たくさんの金が払えるのか!)、長内佐兵衛の興味は、この一点に尽きた。  新しい金づるである。  その町内こそ、左文字組の縄張りである室町や本両替町、材木町や駿河町、呉服町などだ。その町内を担当する町火消しの組を自分の息が掛かったモノにするには、 左文字組は邪魔だった。
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