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思い通りに操縦出来る鳶の頭には、心当たりがある。左文字組とは仲の悪い黒金組の頭にも、既に渡りは付けてある。
「金に汚い奴だ。きっと乗って来る」
だから美代鶴に辰治を誘惑させて、左文字組の様子を探ったのだ。
そして面白い事を知った。
「辰治の奴め。八丁堀同心の矢島とやらの妹との縁談を、それほど嫌がっておるとはのぉ」
「耳を貸せ」、と言うと。「辰治に、彫り物を背負ったらどうかと言え」、と。美代鶴に入れ知恵したのは佐兵衛だ。
案の定、秀治は怒り狂った。
「好きにしねぇなってね。辰治さんたら、左文字組の頭に言い渡されたそうですよ。こりゃぁもう、勘当でしょうねぇ」
長内佐兵衛の胸にもたれて、襟元に指を這わせると。色っぽく囁いたのである。
「ふっふっ。跡取りを失くしては、左文字組も終わりだな。弟の方は、鳶を束ねていける器ではない」
「よくやった」、と言って佐兵衛はそのまま女を押し倒して、伸し掛かった。
「殿様ぁ、お約束を忘れないでくださいね‥アタシに小料理屋を持たせてくださるッて…・忘れちゃ‥いやですよ~…」
美代鶴の甘い声が、とぎれとぎれに聞こえてきた。
庭先に居ても、声は聞こえる。
勝治とお吟と小頭の佐吉は、小料理屋の“梅若”の、庭の植え込みの闇に隠れて居た。佐吉の恋人が、美代鶴には旦那が居ると教えてくれたから、今日は此処まで後を付けて来た。
辰治の真剣な想いを知っているだけに、見て見ぬ振りは出来ない勝治と佐吉。そんな二人の様子が心配で、ついて来てしまったお吟である。
佐吉に“ほの字”のお吟にとっては、佐吉の恋人の存在は青天の霹靂ともいうべき事態だった。佐吉には二世を誓った恋人がいると知ってしまったのである。(幼い恋心が泣いた)
佐吉と芸者の勝乃は、裏長屋で一緒に育った幼馴染み。筒井ずつの仲というやつだ。金で身を売って父親の借金を返した勝乃には、佐吉と所帯を持つ事などは夢のまた夢。借金で縛られた身体だ。
それでも心の深いところで繋がっている、離れられない二人だ。
その勝乃が花柳界の噂を聞き込み、「美代鶴の影の旦那との逢引きを突き留めた」と知らせて来たのが、今日の午後だったのである。
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