第一章  お江戸は今日も大騒ぎ

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 其の三 (辰治の男心)  美代鶴の処分は、それなりに速かった。  江戸十里四方の処払いは、女にはきつ過ぎる刑罰である。  騙されたと解ってはいても、惚れ抜いて身体を幾度も重ねた女への熱い想いを、辰治は断ちがたかった。  女の為に彫り物まで背負った純な男心は、今迄に散々、遊里で遊んできた男の其れとも思えない。  「お前ぇが思い切れねぇって言うのは、俺にも分からぁな。けどよぉ、左文字組の跡取りてぇ立場をわきまえておくんな」、秀治が釘を刺した。  「すまねぇ、親父。一度は惚れて、女房にと思った女だ」  「勘当は覚悟よ」  思いを捨てるのは、漢を捨てる事だと言う。  秀治は、辰治に負けた。  「そこまでいうんならよぉ。俺ぁ、もう止めねぇよ。だが、左文字組の敷居をあの女にはまたがせねぇ」  「それでも追うってぇんなら、仕方がねぇやな」  「縁は切る」  それでも辰治は美代鶴を追って江戸を立つと、平塚宿でやっと追いついた。  「美代鶴、おいらが守ってやる。待っていねぇ」  熱い想いを胸に、東海道を飛ぶように追った。  お吟と勝治と佐吉は、小料理屋の庭に潜んで辰治にはとうてい言えない現場に遭遇した。あの覗き見の後で、三人が如何してよいやらと思い悩んでいる内に、あれよあれよという間に事態は進んでしまったのであった。  三人の戸惑いは深い。  だが、運命の歯車は過酷だった。  勘当覚悟で追った漢気全開の辰治だったが、目の前で衝撃の真実を知る事になった。  美代鶴は一人では無かったのである。  当然のことながら、女が売り物の美代鶴の旦那は長内佐兵衛だけでは無い。材木町にお店を構える、豪商の信濃屋の隠居が一緒だった。  隠居とはいえ、まだ十分に男を感じさせる齢の信濃屋だ。  物陰から、ただ茫然と見ていた。  「美代鶴も、とんだ巻き添えだったねぇ」  駕籠に乗せて旅籠に着いた美代鶴の手を取って、駕籠から降ろしながら抱き寄せる。  「ほんに、旦那様が助けて下さらなかったら、今頃は大変な目に遭っておりました」  品を作って、信濃屋の隠居の手にすがった美代鶴の色っぽかったこと。  目の前が霞んだ。  踵を返すと江戸に向かって、ただ茫然と歩き続けた。純な男心がきしきしと軋る。  江戸の土を踏むのも辛い。  帰り着くなり高熱を発した辰治は、意識も朦朧と寝込んのだった。
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