第二章  凶賊【赤猫】・参上

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 そして今日、ついに困り果てた与左衛門は、将棋を指しに来た秀治に相談した。  「待って下されよ。お吟さまを出仕させないでくださりませ」  大慌てで止めると、「二人の息子のどちらかとお吟が恋仲に為ったならば、大岡越前が仲人になって婚姻を許す」という例の約束を、秀治が持ち出したのである。  青天の霹靂だが、与左衛門にとっては願っても無い話だ。  町奉行で、あの吉宗様の懐刀。大岡越前の言葉の方が、臼井健四郎の言よりもずっと重い。  「其処で手前が考えましたのは、いったんお吟さまには、良晏先生の養女に出て戴く策で御座りまする」  言葉を尽くして、説得を試みる秀治。乗り気が満々の与左衛門だ。  呆気なく、お吟の身分は町医者の養女に決定した。  「でも、良晏先生は御承知なのですか」  妻の千鶴が、不安そうに聞いた。  圭吾の立場を思えば、出仕話が流れるのは拙いと。母として心配なのだ。  武家である。娘よりも息子が優先される環境で育った千鶴の、偽らざる心情だった。  左文字組の寮で矢島夫妻が揉めている頃、秀治夫婦も違う事で揉めていた。  「だからお前さんが、早く話を持ってかないからだよぉ。良晏先生の了承なら、とうにアタシが取り付けといたさ」  「さすがはお茂だ。大ぇしたもんだ、でかしたぜ」  褒める秀治に、問題は其処じゃ無いと食って掛かった。  「お吟ちゃんの婿は、辰治かい?、それとも勝治かい!」  どっちなんだ、と責められて言葉に詰まった。  「お前ぇは、どっちに貰いてぇんだよ」  「決まってるじゃ無いか。左文字組の姐に貰いたいのが本音さ」  「美代鶴とは、キッパリと別れたんだ。然も寮での暮らしで、辰の奴はお吟ちゃんに“ほの字”に為ったとアタシは見てるんだよ」  企みの微笑みが、お茂の顔に浮かぶ。  「ほおぉ、そうなのかい」、と秀治もその気に為った。  瓢箪の駒は勝手に転がり出て、お吟が思ってもみない縁談に発展しつつあったのである。
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