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よく判らない。はっきりとは思い出せない。総て曖昧に記憶の中で混ざり合って、色んなことがあやふやになっていく。
俺は何回死と隣り合わせのミッションをこなした? どういう目的でこのホテルにやって来た? そもそも、俺は誰だ? 俺、は…。
* * *
「その人、まだ目覚めないんだ?」
白衣を着た若い研究員が、ガラスに覆われたケース内の男の顔を覗き込みながら言う。
聞かれた眼鏡の男はそちらを見ず、計器類に視線を固定させたまま返事をする。
「今のところ、数値は総て一定以上を保ってる。多分この先も当分目は覚まさないだろう」
「ふーん。『強運』て凄いね。普通、ここまで悪夢を見やすくする実験されたら、夢で死んで現実直行なのに、この人、もう半年近くもこのままなんて」
感心したようにつぶやき、若い男はケース内の男をさらに見つめた。
「栄養補給の溶剤、高品質のに変えるよう指示されたけど、アレ高いのに、よく変更が通ったね」
「この被験者は教授の提唱する『強運論』の、生きた実証例みたいなもんだからな。悪夢に屈して目を覚ますまでは、本体は可能な限り大切に扱わないとってことだろう」
「大切に、かぁ。俺だったら、こんな状態で高い栄養剤補給されても、ありがたいとかは思えないな」
「普通、誰だってそうだろ。…夢の中で最悪の事態は回避できてるかもしれないが、半年以上こんなケースに押し込まれて、栄養補給は繋いだ管から。モルモット扱いで状態を計測され続けて、おまけに意識はずっと悪い夢の中だ。誰だってそんな状況はお断りだろうよ」
「バイト代がいいからって、こんな実験の被験者に応じちゃった辺り、この人の『強運』て、本人のために全然なってないよね」
そうだなと眼鏡の男が頷き、それきり白衣の二人は口を噤んでケース内の男を見つめた。
とある心理学の権威が、人の意識はその人の運の強さに大きくされると口にし、研究を始めた『強運論』。
破格の報酬で集められた自称『強運の持ち主』達は、人工の睡眠装置に入れられ、そこで人造的な夢を見せられることになった…自分や周囲がいつ何時死ぬかも判らない悪夢を。
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