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「聞こえていても返事は要らない。君の安全が第一だ。パッシブモードのまま聞いてくれ」
遠い声は明らかに近親者のものだ。もっとも彼女に「血でつながった」親族はいないが。
「うん」
少女がうなづくと、安堵の吐息が聞こえた。
「よかった。椿。僕は総体としての椿でなく、個体としてのキミに呼びかけている。意味がわかるかい?」
椿は反射的に記憶をまさぐった。取説に量子暗号通信の項目がある。盗聴不可能な当事者間通信を保証する機能だ。
彼女は意思疎通手段を電子から量子に切り替えた。
「おにいちゃん!!!」
クリアーな嬌声が柊の内耳に届いた。
「僕は今、君のそばにいる」
「えっ、どこどこ?」
椿はドレスを翻して部屋中を探し回った。
「残念ながら君の座標にはいない。僕は遠くて近い場所にいる。泣かないでよく聞いてくれ」
柊は事情があって身を潜めているようだ。ただ、量子通信は限りなく距離を縮める。兄の動悸や体温を椿は共有できる。
「おにいちゃん!」
椿は両腕で空気をぎゅっと抱いた。
「椿……やわらかいんだね。髪も甘い匂いがする」
「柊にいちゃんだって……」
「君はいいお嫁さんになれるよ」
「わたしと結婚してくれるよね」
少女が思い切って胸の内を明かすと、戸惑いが返ってきた。
しばらく気まずい空気が漂う。
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