3人が本棚に入れています
本棚に追加
1
「…っ」
人当たりのいい笑顔を武器に営業として働いていた綿貫。普段ならばなんてことのない外回りだが、睡眠不足のためか街角で目の前が真っ暗になった。
綿貫は倒れまいとどうにか道の端に寄り、しゃがみこんだ。道行く人の視線がいくつか突き刺さるが、声をかけるものはない。それでいい、綿貫はそう思っていた。
「大丈夫?」
目の前から男性と思しき低く柔らかい声がした。綿貫が何も言えずにいると、男は掌を頬に添えて顔をそっと持ち上げ、口に何か甘いものを入れてきた。
「いちご…?」
ようやく綿貫が口に出せたのはその一言だった。目の前にしゃがんでいる優しい微笑みを浮かべた男が、低く柔らかい声の持ち主だった。
「立ちくらみ、治ったようだね。」
男は頬に添えていた手を離し、綿貫をそっと立ち上がらせて去ろうとした。綿貫はとっさに男の腕を掴んで引きとめた。
「あのっ、お名前は…」
そう聞いてから名前だけ知ってもどうしようもないことに気づき、慌てて名刺を取り出して、男の手に押しつけるように渡す。
「すみません、今度お礼をさせていただきたいのでよかったらご連絡を…失礼します!」
名前も聞かずに名刺だけ押し付けてしまったことに気づいたが、後の祭りだった。連絡をもらえたならばきっとわかるだろうと信じ、綿貫は自社へと戻っていった。
手に名刺を押し付けられた男はしばし呆然としていたが、名刺をちらりと見て呟いた。
「綿貫 怜…」
最初のコメントを投稿しよう!