イエス様との出会い

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数年後に僕の事を好きに成って手紙とかをくれていた娘さんが、カトリック教会の熱心な信者で、記念に神父様がお祈りをした十字架のペンダントをくれる予定だったんですが、カトリック教会で売ってる十字架ってキリスト像がくっ付いてる訳なのです。「そんなのは要らないでしょう?」と。 聖書の話で食い違いとかも有って(そりゃそうだ読んだのが違うんだもん)彼女が「聖書の事で言い争ってもしょうがないね」って。そりゃぁ楽しかったよ。 ※因みに※ カトリック信者の娘さんと同学年で、彼女の友人のプロテスタント系教会の信者の女性と僕は、当時お付き合い(男女交際)をしていました(当然カトリックの娘さんは知っていました)。 其の僕と付き合っていた女性は、プロテスタント教会で洗礼を授かってから一度も教会へ顔を出さなく成っていた変わり者ですが、僕自身が変わり者ですので、或る意味気が合っていたのかも? 一度夜中に彼女の運転で教会へ一緒に行き、神父さんだか牧師さんだかと話をしましたが、其処はやはり人間でして(当たり前)、思い込みでしか話していませんでした。僕也に説明したのですけど。 更に歳月が経ち、忘れかけていた頃に再び(三度かも)イエス様と出遭ったのでした。 訪れて来たのは最初に我が家に布教に来た人と同じ教会(宗派)に所属している人で、僕は個人的に其の宗派の人達には好意を持てていましたので、話を聴き配布していたパンフ(チラシ)を貰いつつ会話を続けたのです。 彼(新たに出会った布教者)とも色々な話をしていく内に、息子さんが産まれ付いての下半身不自由者だと云う事も話してくれましたので、当時やや時期遅れだったモノの入手が難しかった「たまごっち」を僕が偶々もっていたので、息子さんにプレゼントして下さい。と彼に手渡しました。 後に同宗派の他の人からの伝聞で知りましたが、其の彼は渓流釣りに行ってた時、川の流れに飲み込まれてお亡くなりに成ったそうです。 2~3度彼の奥さんが僕の部屋に布教に来た時には、慰めの言葉も出ませんでした。
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