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いつの間にか、仲間がやってきて、彼女を連れて『ゆりかご』へ行こうと笑顔で言うので私はその役目を引き受ける。
笑顔が、とても、なんというか、きもちわるかった。
イヴを冒涜されているような気になった。
イヴの体を腕に抱いて『ゆりかご』へ向かう。
彼女の信じた聖書を胸に抱かせて。
「イヴ、君が、そう思っていたなら、仕方ないね」
私は聖書の全文を覚えていた。
イヴの言葉も、全て覚えていた。
「神は死んだ。いや、私が殺すのか」
これから最後の審判が始まるだろう。
審判を下すのは神ではなく、人間という失われかけている種だ。
種の終わりが近づいている。
多くの命は再生のない地獄に落ちることになるが、後悔はない。
肉体に痛みが、恐怖が、自分への憎しみが、怒りが、戻ってくるのを感じる。
そして――。
『私が死んだらどうか悲しんで、嘆いて、苦しんで。全身で、あいして』
イヴが昔はよく言っていた言葉を思い出す。
私は、何を不安に思うんだ、死なないから大丈夫だよ、と的外れなことを返していた。
いつの間にか再び頬を伝う涙をぬぐった。
ぬぐってもぬぐっても止めどなく溢れてきて、唇についたソレを舐めるとしょっぱかった。
『悲しい、と涙がでるんだよ。海の水みたいにしょっぱいの』
こっそり泣いていたイヴ。
涙を見て心配していた私に告げたこと。
回廊を進むと、海中が見えた。
相変わらず美しい。偽りの人魚が暮らす、偽りの楽園。
結局、おとぎ話の人魚は失くした物を取り戻せなかった。
「君を取り戻せたら良かったのにね」
イヴに顔を寄せて言ってみたが、腕の中のイヴは何も答えてくれない。
人間の体は海から来たという。ならば、海へ帰るのだろうか。
そこに彼女はいるのだろうか。
天国へは行けない。私達人間が最初に交わした死という約束を破ったから。
歩いて、歩いて、『ゆりかご』の前へたどり着いた。
どんな道順でここまで来たのかも思い出せなくなっていた。
『ゆりかご』は相変わらず穏やかで、命を抱いていた。
さあ、傷を癒やしてあげる。再生の祝福を、と言っているように見える。
「――私達はそこには行かないよ」
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