1989年の悔恨

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人としてそうすべきなのが正しいとしても、全く気の重い再会なのだから。        1989年1月8日、若い母親の胎内から出て元気な女児が産声を張り上げた。 まだ十四才であったし、若過ぎる母親といっても良かったかもしれない。  朦朧(もうろう)とした意識の中、よく頑張ったわねぇと看護婦に声をかけられたのを芳子は覚えている。 いつの間にか看護婦という呼び方は差別用語の様になっていたけれど、当時は看護師とは呼ばなかったのだ。
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