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3.ミキとヒデ
「これアタシだ」
「なんですと!?」
ファイルは一番最初のページで止まっている。
杉山は急いでルーペを取り出しチラシと本人を見比べた。
「ぜんぜん違いますよ、止して下さい、このチラシは僕の思い出の一枚なんですから。
彼女と電話をしなければ僕はピンクチラシを集める事は無かったんです」
より一層汚らしいピンクチラシを愛おしそうに撫でる。
杉山は不機嫌そうにファイルを取り上げて鞄にしまおうとする。
朝倉さんをその手を止めて
「待って、西日暮里のミキはアタシ。初めてテレフォンセックスをした名前なの」
2人は時が止まったかのように見つめ合っている。
「じゃあ、あの時の……」
『「ミキです、今日が初めてだから優しくして」』
『「……僕まだ自分でした事も無くて」』
『「嬉しい私でシテくれるんだ」』
『「あっ、あの」』
『「一緒に卒業しよ」』
目の前で再現ドラマが始まった。
彼らはミキとヒデになっていた。
ウニをかち割って中身をすする日本人を見た外国人の気持ちが分かる。
「ねぇ、この音なんだか分かる?」
朝倉さんが十円玉を二枚を杉山の耳元へ持ってく。
「えっ、なっ、なんの音ですか?」
杉山の童貞の演技は恐らく日本アカデミー賞を取れるだろう。
互いに声を荒げ徐々に絶頂まで向かう。
その光景は夜行バスがトンネルを抜けていくようだった。
オレンジ色の光が前から後ろに次々に飛んでいく。
今じゃないどこかへ向かっていく。
高揚、浮遊、躍進!
張り裂けそうな言葉の応酬。
居たたまれなさを感じながらも昂ぶる気持ちを抑えきれない。
ミキの吐息が私の耳を撫でた。
『「あっ、ミキ、僕もう」』
『「きて」』
バシャ!
私の頬に水滴がかかった。
店主がコップ一杯の水をぶちまけたのだ。
「出てけ」
鶯谷の夜は体に凍みる。
「濡れちゃったね」
「うん」
ミキとヒデの二人は夜の街に溶けていった。
やり場のない私の熱を帯びた芯は急速にしぼんでいく。
「おい、兄ちゃん忘れもんだよ」
店主が投げた二枚の十円玉は私の手で重なって、小さく鳴った。
私はそれを耳元でこすり合わせてみた。
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