(一)

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最初の一口だけもらう。甘いものはそれくらいで充分だ。 あとは、ケーキを頬張りながら幸せそうな顔をしているヒロシを眺めていればいい。 ヒロシはお酒が飲めない。それでも一緒に居酒屋に来てくれるのは、美味しそうにお酒を飲むわたしを見ているのが面白いからだそうだ。わたしが塩辛を肴に熱燗で舌鼓を打つときには、ヒロシはその隣でたいてい厚焼き玉子だとかかんぴょう巻きだかを頬張りながら、にこにこしている。 「平」は、平らか。「成」は、成る。 帝曰く、兪り。地平らぎ天成り、六府三事允に治まり、万世永く頼るは、時れ乃の功なり。 これは書経。中国最古の歴史書。 時に序せざること莫し。八元を挙げ、五教を四方に布かしむ。父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝にして、内平かに外成る。 これは史記。司馬遷が編纂した正史のひとつ。 戦禍にまみれた昭和という時代が終わり、新たな時代に平成と名付けたのは、平和に成ったこの国を言祝ぐためだろうか。 ちなみに昭和という元号も書経の一節から取られている。 九族既に睦みて、百姓を平章し、百姓昭明にして、萬邦を協和し、黎民於いに變り時れ雍ぐ。 人々が徳を明らかにすれば世界は平和になるという祈り。皮肉にもこの時代は、皆が「正しい」というものを追い求めた末に国土は焼け野原になった。 さくらロールはヒロシのフォークによってあっというまに片付けられる。皿についていた生クリームも、スポンジ部分を使って器用に拭いとられた。 「たいらかに、なる」 わたしは声に出して言ってみる。 「うーん、幸せ!」と、ヒロシこそオッサンのくせに、女の子みたいにグーにした両手を頬に寄せる。
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