第一章

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 そこへ、昼食を終えたのかどやどやと人が戻ってくる足音が聞こえた。仕事に没頭しているふりでパソコンから顔をあげずにかわそうとする槇に、近寄ってくる気配があった。 「槇ちゃん。おそよーさん」  顔をあげると、同期の西が人懐っこい顔で手をひらひら振っている。 「おはよ」  のほほんとした顔の男に気を緩めて返事をすると、西は「あれ?」というように目を丸くした。その表情の意味を掴みかねて槇は訝しげに首を傾げた。 「どうかした?」 「や、槇ちゃんの笑顔見るの、久しぶりやなぁと思って。何? なんかいい事あった?」  西は顔を覗き込むように身を乗り出してきて、細い目をさらに糸のように細めてにこにこしている。心の内を見透かされたようで、槇は慌てて顔をパソコンのウィンドウに戻した。 「べ、別になんにもないよ」 「またまたぁ、俺にも幸せのおすそ分けしてよ」 「やだよ、おすそ分けしたら俺の分、減っちゃうじゃん」 「わー、槇ちゃんのケチ」  西とは同じ高専の同じ専攻出身の同級生という連帯感から話しをする機会も多い。だが、学生時代はあまり話したことはなく入社式で顔を合わせて初めてお互いに同じ就職先だったのを知ったくらいだ。人当たりがよくおっとりとした関西弁を話す西は、人見知りの激しい槇の警戒心をあっさりと解き、気安く話せるような関係になるのにあまり時間は要さなかった。  西と軽い口調で冗談を言って笑い合えるのは、ストレスを溜め込みやすい槇にとってとてもありがたい事だった。西が隣の電波企画課に所属していなかったら、槇は堪え切れずに辞表を書いていたかもしれない。  午後の始業を告げるチャイムが鳴る。  いつの間にか席に戻っていた主査が槇を呼びつける。  槇は「はい」と返事をしてすぐに立ち上がり、主査の元に向かった。いつものように足は重くならない。西と話したことと、伊原と会えるという喜びが槇の気持ちをまだふわふわと上昇させていた。
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