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第十章
槇の突然の頼み事を、西は何の躊躇もなく受け入れてくれた。しかも、その理由を聞こうともしない。普段は何かと槇の行動を勘繰り、からかいの言葉を掛けてきたりしていたので、どうして寮に帰れないのかいろいろと嘘の言い訳を用意していた。なのに、黙って槇を自分の部屋に招きいれると、一晩の寝床を提供してくれたのだ。槇は少々拍子抜けすると同時に、いざと言う時には無条件に受け入れてくれる西の優しさに感謝した。
西にパジャマ代わりのTシャツと短パンを借り、用意してもらった布団に潜り込んではみたものの、伊原の事やこれからの事がとりとめなく頭の中に浮かび、なかなか寝付けなかった。いつもなら優しい腕に包まれて、とっくに眠りに落ちている。そう考えると急に背中にぞくりと寒気が走った。もう二度とあの温もりを感じることはないのだと思うと涙が滲んだ。膝を抱えるように丸くなり、息を殺す。さっきはあれ程激昂して伊原の身勝手さを詰り、同情されるのはごめんだと思ったくせに、もう伊原が恋しくて堪らなかった。
それでも空が白み始める頃には、うとうとと微睡むことができたようだ。カチャカチャと食器が触れ合う音で目を覚ますと、西がトーストとカフェオレを用意してくれていた。ゆっくりとそれらを胃に収め、シャワーを借りた。スーツは着の身着のままで飛び出してきてしまったので前日と同じものだが、下着とワイシャツはコンビニで買っておいた物と着替えた。ネクタイだけは西が貸してくれたものを着けた。
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