第十章

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 一瞬のうちに、さっと血の気が引いた。足が勝手に逃げを打つように後ずさる。伊原も槇が現れたことに気づいて、怒った顔で近寄ってきた。一晩見なかっただけなのに伊原の顔には少し疲れたような色が見える。「あれー? 伊原?」と暢気な声を出す西を無視して、「マキ、話がある」と槇の腕をぐいっと掴んだ。 「なっ……伊原、ちょっと待って!」  西がいる前だというのに、伊原は何を考えているのか。槇以外はまるで目に入っていないかのような振る舞い。そんな強引な態度に槇は少しの恐れと怒りを感じ、腕を振りほどこうともがいた。だが、しっかりと握られた腕はびくともせず、逆に力が込められていく。槇は痛みに顔をしかめた。 「えっ、何? 二人とも、どないしたん」 「マキッ!」  思い通りにならない槇に焦れたように、伊原は半ば引きずるように槇の腕をひく。 「ちょーっと、待った。伊原、とりあえず手ぇ離そ。槇ちゃん、痛がってるし」  西はさりげなく槇をかばうように背中で隠すと、二人の間に割って入り伊原に対峙した。 「とりあえず、ここで騒ぐんはマズいわ」  槇は伊原から目を逸らし、乱れ始めた息をどうにか落ち着かせるのに精一杯だった。身体がかたかたと小刻みに震える。頭の中は混乱し何も考えることができず、事の成り行きに身を任せるしかなかった。 「な、伊原。槇ちゃん、怯えてるしちょっと落ち着くまで時間置こ」  鋭い目で西を睨んでから、伊原は諦めたように「わかった」と、ずっと掴んだままだった手を離した。 「行こ、槇ちゃん。歩ける?」  まだ浅い呼吸を繰り返している槇の肩を西がそっと抱いて、進むように促した。伊原がまだその場にいることはわかっていたが槇は顔を上げることはできなかった。 「ごめん、西……」 「いいよ。とりあえず、俺の部屋戻ろか」  西に身体を預けるようによろよろと歩きながらも、槇は首を横に振った。もうこれ以上西に迷惑をかける訳にはいかない。 「俺、寮に」 「あかんて。そんな槇ちゃん、一人にできるわけないやん。な、俺ん家行こ、な」
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