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月明かりに照らされた、銀世界と1人の男。
いつからそこにいたのか、彼の纏う黒いローブには、すっかり雪が積もっている。
「……こんなはずでは……っ」
黒く伸びた爪を、忌々し気に噛むものの、事態は好転するはずもなく。
「むしろ、昨夜より積もってどうするのだ……」
烈火の如く赤い瞳に、雪景色を否応なく映し、男は大きな溜息をひとつ。
「これでは、皆に顔向けができん」
悔しさに顔を歪めながら、思わず視線を落とす。はらり、と紫色の長髪が、男の
頬を覆った。
『この常冬の地に、必ずや春を呼んでみせる!』
……などと。大見得を切ったというのに。
両手を大きく広げ、高笑いまでした己の姿が、今になって男の脳裏で暴れた。
「……ふん。ウサギめ、何がそんなに楽しい?」
前方では、ウサギが愛らしい足跡を、新雪に残している最中だ。
本来であれば、積もりに積もった大雪を、地獄の業火で溶かし尽くさんとしていたのに。
「私の気が変わらぬうちに去れ……喰うぞ」
男の鋭い牙が見えたのか、散策に飽きたのか。ウサギは一瞬だけ立ち止まり、ヒクヒクと小さな鼻を動かすと、どこかへと走り出した。
「……明日もう一度、試すしかあるまい」
男自身は気付いていないが、鱗に覆われた彼の尻尾が、少しだけ揺れた。
「人間ども……待っているがいい。明日こそは成功させる!」
額の角が疼くのを感じる。古傷だから、ではない。やる気がみなぎってきているのだ。
『ここは、勇者様ご一行ですら、立ち寄ることのない雪の国。聞いてくださいますか、
旅のお方。私はね、野に咲く花とやらを、いつかこの目で見てみたいのです』
男が、勇者の次に愚かだと思った人間は、この地の長だった。
勇者一行に全力で打ち負かされ、命からがら逃げおおせ、彷徨っていた男にかけられた
言葉は、「予想外」の羅列だった。
『治療の恩はいりません。困った時はお互い様だ。ただ少し、老人の愚痴を聞いて
ほしい』
勇者を知らぬ者。野に咲く花を知らぬ者。この魔王を、知らぬ者。
「……ふん。この私以上に恐ろしいものが、この世にあるとはな」
聖剣の打ち所が悪かったのだと、男は自分に言い聞かせる。
改心を、認めたくはないのだが。
「恩はいらぬ、だと? 知ったことか……好きにさせてもらうぞ」
邪悪だった笑みがこぼれる。明日も地獄の業火を繰り出すため、男は魔力を溜めるの
だった。
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