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ウパシは信仰の深い妻と聡明な娘を持つ父親であった。
山の緑がだんだんと濃くなり、そこから吹く風は雪解けの大地を強く蹴り上げてコタンに活気をもたらす伊吹となる。生命が満ち溢れる春に、ウパシの娘は亡くなった。
エハやオハウキナを採りに行くと言い、朝日が昇るや女達と山へ入ったが、太陽が真上にくる頃、悲報が届いた。
ヒグマに襲われ、殺されたのだ。
ウパシは命からがら逃げてきた他の女達から『たいそう立派な牙を持つキムンカムイに殺された』と聞かされたのだが、認めるわけにはいかなかった。
信ずるカムイが愛する我が子の命を奪うはずがない。娘もまた自然を愛し共に生き、信仰を捧げてきたのだから。
妻に似て歌の上手い子だった。宴の夜には、五弦を震わすトンコリの弾む音色に合わせて神謡を披露したり、童唄を子供達へ教えることも多かった。輪の中心で手拍子を取りながら『ピリカ・ピリカ』を歌う楽しげな娘の姿が思い起こされ、視界が滲む。
ーーこれは、民に危害を加えるウェンカムイの仕業に違いない。
ウパシには最早、この信じがたい事実から目を背けることでしか、砂塵のように散っていく心を繋ぎ止める術はなく、長にこの熊を探し娘の仇を討ちたいと懇願した。
しかし長は首を縦に振らず、『この熊は神々の国からウパシの娘を見つけ花嫁にしようと連れて行ったのだ』と解釈し、妻もまたそれを受け入れたのだった。
こうしてカムイの親戚になった一家には猟運がもたらされるとも言われており、ウパシは娘を失った悲しみを一日も早く忘れるように、来る日も来る日も狩りに出向いていた。
しかしその思いとは裏腹に、ふと気がつくと、木々の向こうからこちらを睨む牙の立派なヒグマの幻想にとらわれ、たちまち深い悲しみと復讐の念に襲われるのだった。
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