彼との契約 ~二日目 意識~

3/3
前へ
/113ページ
次へ
「……すまなかった。少し、度が過ぎた」 言いながら、私の方へ彼が手を伸ばす。 思わずびくりと身体が強張り、それを見た彼が微笑みながらも眉尻を下げた。 普通の人ならこれは、「申し訳なさそうな表情」というのだろう。 伸ばした手が、私の目元に触れ、指先が目尻から何かを掠め取る。 それが涙だったと気付いたのは、もう片方の瞳から一粒、雫が落ちたのを感じたからだった。 「理解していて欲しい。俺は、君が思っている様な男じゃない。ただ普通に、離れて行こうとする君を追いかける、君に惚れているだけの、ただの男だ」 少しだけ悲しそうに微笑んで、彼がそっとベッドから離れた。 そのままゆっくりとバスルームへと歩いていく。 私はその様を、ただ呆然と、眺めていた。 ◆◇◆ ――――本当に。 本当に『そう』だったなんて。 まさか思わなかった。 考えた事など無かった。微塵も。 あの人に、自分が好意を持たれているだなんて。 幾度も会話はした。それは仕事の話ばかりを大量に。 プライベートな事など、聞かれた事もなければ、話した事もない。 笑顔を見せてくれた事も無かった。私も見せた事など無かった。 だって仕事だもの。日々分刻みで追われる激務。笑っている暇など、無かった。 やり手と言われ、業界でも名の知れた企業のトップであるあの人の視界に、どうして自分が個人として映っていたなどと思うだろう。 パソコンやコピー機みたいに、使用するツールの一つだと認識されていると。 そう、思っていた。 だけど。 向けられた視線の熱さが。 存在を確かめるように触れる掌が。 貪るようなキスの深さが。 そうでは無かった事を、私に教えた。 なぜ彼が、一介の秘書を拉致し、監禁まがいの事をしたのか。 なぜ、辞めたはずの私と、再び契約を交わしたのか。 なぜ、傍で眠ることを求めるのか。 ――――なぜ。 「嘘、でしょ……」 熱くなる頬を、両手でぎゅっと押さえながら、私は一人呟いた。 彼がシャワーを浴びる僅かな水音だけが、扉越しに室内に響いていた―――
/113ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1691人が本棚に入れています
本棚に追加