神様は不老不死

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地球社会の言葉は文字によってより分別される。 日本の言葉はいわゆる日本語だが、漢字も当然いずれの文字も地球社会へのチャレンジアップを示唆しており、ローマ字の読み方さえ頭に入ればそのまま地球社会の言葉にあれる。 日本国内で模索されて、地球社会に如実を見ればそれとして飛躍させ得る、現に今の日本がそうじゃないか。 他国語活用は、この本道にまっしぐらでない分、理解に時間差がある軋轢が増える。 日本でその地球社会を体現して他国に散見する程度の具体例も、それぞれに対する繊細さや国語発展の計画性に欠ける。 日本語は平仮名が基礎化していて、教育社会は突然の基礎から漢字社会への変化を話題にし始めていたが、言葉はさほど変わらないらしい。 僕は人類の未来の話も考えていて、日本語を投げ打つべきではないと思う中に居る。 他者の地球の話は未来と共に論じられ、終末時計では崩壊までの道のりが語られる。 僕としては来なくてもいい終末、まずはその意見に徹してほしいと願う。 次に日本語の決まりを地球社会上で減らす対応に出たい。 それはカタカナ=外来語から日本国語への昇華作業だ。 今はまだアジアでしかその胎動を見ない。
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