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経を三世に照らして言葉の無尽蔵にある世界に、会話と対話と筆談(メモや日記や詩や小説など)と歌唱話(歌などの詞)の適切な分別を加える事が現代日本語の過程としおけば、成立までの参加社会に差別のない事が模索され、真摯に老若男女これを求めるに、話に色(しき)を増す勢いのある明るい歌詞の楽曲が浮上し、ヒットもする事だろう。
僕はその勢いに乗って、南無妙法蓮華経の漢字それぞれ一字から動詞である内実を導き出した。
一例は「妙(たえ)まる」である。
前者がいて(キリスト教の讃美歌や百人一首など)、二字熟語や一字だけのそれが残っている。
「妙なる」「白妙」である。
前者と対話する為にの想いも少なからず有り、宗教間対話と行きたいところ。
センセイは「妙なり」と使うが、自宗教内でも反応のない事態に困惑している。
ここは一つ、不老不死の神様にも事を図って頂こうか。
僕の「妙まる」は「五段活用ま行系」をも持つ。
他の4文字(法蓮華経)も同様で母音の活用と、が行・ば行などでこれは発音にカウントされていない。
よーく考えてほしい。
活用があれば、新しい感性で頑丈な日本語が仕上がる。
待ち望まれてもいる。
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