はじまりのさよなら

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滲んだ涙を乾かしたくて、僕は窓を開けた。 舞い込んできた風は、甘い香りを部屋に運ぶ。 「あら、沈丁花」 妻は目を閉じて香りを楽しむ。 「沈丁花?」 僕はあいにく花の名前には疎い。 「ええ。ほらあそこ、白い花が咲いているでしょう」 指を差すのは向こうに見える教会の庭。 「桜じゃないのかい?」 僕は目を凝らす。 ふふ、と妻は楽しげな声をこぼした。 「この病気が治ったら、一緒に見に行きましょうか」 眩しそうに目を細める。 突然、強い風が吹いた。 よりいっそう濃い香りが、妻の髪をなびかせる。 白い花びらは、妻を連れ去って行ってしまいそうだった。 くしゅんっと小さくなくしゃみをして、娘が目を覚ます。 僕は慌てて窓を閉めた。 妻は、ティッシュで娘の鼻を拭く。 「もう春ね」 窓の外を眺めながら妻は言った。 寝ぼけまなこだった娘はやがて、いつものおしゃべりに戻る。 保育園の友達のこと、おままごと、ブランコ。 娘の話は尽きることはない。 きらきらと屈託のない笑顔を僕と妻に見せる。 可愛いかわいい僕たちの一人娘だ。 愛おしそうに娘を抱きしめる妻。 陽だまりが僕たちを包む。 ああ、この幸せがずっと続けばいいのに。 でも僕は知っている。 幸せは、永遠には続かないことを。 1週間後。 妻は、静かに息を引き取った。
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