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始まり
夫は私のことが見えなくなった、らしい。
まだ温かい湯気が立っている夕飯の前で、加奈子は途方に暮れた。
夫である辰雄は、不思議そうに夕飯を見ている。
食卓を挟んで大の大人が2人、ぽかんとつっ立っている姿ははたから見るとまぬけだろうなと加奈子は思ったけれど、辰雄にはそれもわからないのだ。
「加奈子、いないのか?」
廊下やほかの部屋をのぞきながら、声を上げる。
「ここにいるよ」
加奈子は当たり前の返事をするけれど、辰雄は気づかない。
「ねえ、ここにいるってば。ふざけてるの?」
そう言ってみるものの、辰雄がそういうことをするタイプの人間でないことはよくわかっている。
だから加奈子はどうしようもない焦燥感に襲われていた。
「辰雄ってば」
震える指でシャツを引っ張る。
辰雄はふんわりと触れられたように感じて振り向くものの、何もないことを確認すると視線を戻した。
「ねえ」
加奈子の呼びかけに辰雄は応えない。
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