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第一章
「ファーストキスは、いつだった?」
そんな質問は、コンパの席上で盛り上がるネタが尽きかけた頃に出る話題だと思っていた。それがまさかバイト先で、しかも仕事中に出てくるとは思っていなかったので、新田尚樹は面食らってしまった。猫のように少しだけつりあがった大きな瞳をぱちぱちと瞬かせる。
「え、えーっと、高校二年の時かな……」
経験上、変に隠そうとするよりもさらっと答えておいたほうが話しは続かないものだ。そう思い、なんとか平静を装い返事をした。だが、内心では意味不明な言葉を叫びつつ転げまわりたい衝動に駆られていた。不意打ちを食らわされ、心の奥底にしまいこんでおいた過去がぽろりと転がり出てしまったのだ。
それもこれもこいつが悪い。尚樹は作業台の上に置かれた何十本ものバラの花を恨めしげに睨みつけた。淡い桃色が、初々しさとほのかな恋心を連想させるのか、ファーストキッスなどという乙女趣味満開の名前がついているのだ。
あまり出回らない品種らしく、ここ『フローリスト佐倉』の店長、佐倉がにこにこと嬉しそうに教えてくれた。
尚樹は軍手をはめた手でそのふざけた名前のバラの葉を丁寧に落としていく。葉が多いと養分をそれだけ奪われるし、水に浸かる部分はバクテリアの温床にもなる。ただし取り過ぎたり雑に扱っては、却って花を弱らせてしまうことになるので加減が大切だ。
「へぇ、なんか意外。新田くん、顔はイケてるし積極的だからもっと早いかと思った。それで、場所はどこ?」
パチンパチンとリズミカルに鋏を動かし茎の根元を斜めに落としながら、一年先輩の三山は特に興味があるとも思えない様子で話を続ける。一年先輩といっても、この店でのバイト暦のことであって、実際の年齢は今年大学二年になった尚樹より三つほど上のはずだ。レディに年齢を聞くなんて、と窘められたので実際のところはわからないが。
毎回この調子で尚樹ばかりが質問責めにされるので、少しずつプライベートを丸裸にされていっている気もする。
花の水切りはスピードが命だが、単調作業なのでその合間の話題としてはこれくらい下らないものが丁度いいのだろう。
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