第四章

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 あっという間の出来事だった。  あとには何がなんだかわからないまま呆然と立ち尽くす尚樹だけが残された。荒い呼吸を繰り返しているうちに、じわじわと怒りと戸惑いが湧き上がってきた。大沢の行動は強引で理不尽で、不可解だった。まだ唇に残る熱くて柔らかな感触、大沢の真剣なまなざしがさらに尚樹を混乱させた。そこに広がるのが嫌悪ではなく、悲しさに似た感情だったからだ。尚樹自身、その感情がどこから生まれてくるのかわからない。  ただ、たくさんの何故やどうしてが頭の中に渦巻く。  尚樹はそんな思いを抱えたまま一人で家に帰り、土曜日と日曜日を何も手につかないまま悶々と過ごした。そして、月曜日には大沢にいろいろ疑問や言いたいことをぶつけてやろうと勇んで学校へ向かった。  だが、教室に入るとそんな思惑はどこかへ消し飛んでしまった。ひそひそと耳打ちをしあっているクラスメート達。その端々に大沢の名前が挙がっているのだ。暗く澱んだ空気が不安を掻き立てる。 「大沢が、どうかしたのか?」 「あぁ、学校辞めるらしいって」 「え!?」 「なんでも金曜日の部活終わってから顧問ぶん殴ったとかで、今職員室結構殺気立ってるみたいだぞ」 「ていうか、尚樹、お前大沢と仲良かっただろ? 何か聞いてなかったのか?」  青褪め首を横に振るばかりの尚樹から情報を聞き出すことに見切りをつけ、級友たちはまた口々に噂話を始めた。曰く「元々、顧問とはそりが合わなかったらしい」「あいつスポーツ奨学生だからそんな問題起こしたら学校にいられないだろう」「あそこは母子家庭で、かなり貧乏らしいから働きに出るんじゃないか」等々。  いつも一緒にいたのに、何も知らなかったことに尚樹は愕然とした。ただ一緒にいて楽しいとか頼もしいとか、寄りかかるばかりで大沢が心の奥で何を考えどんな問題を抱えていたのか、考えたこともなかったのだ。  尚樹にキスした時にはすでに顧問を殴った後だったということだろう。確かにいつもと雰囲気が違うと感じていた。 ――だから、気が動転して、わけわかんなくて衝動的に?  ずっと心の中を占めていた悲しみに似た感情が、さらに尚樹の心に暗い影を落とす。
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