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 営業は商談先の都合はもちろんあるものの、ある程度自分の裁量がきく仕事だった。けれど今やらされているのは完全に待ちの仕事。それも、集中し始めたところで別の急ぎの仕事を突っ込まれるのだから、いら立ちもする。  とはいえ、こんな裏方の仕事で音を上げるなんてかっこ悪い真似をするわけにはいかない。この俺が!  ついさっきも、海外の支店から来た原稿を得意の語学力で瞬時に訳し、サイトにアップ済みだった。さすが俺。 「一ノ瀬くん」  ファイルをひとつ整理したところで、女の声が名を呼んだ。広報の部長、加賀美(かがみ)は四十手前の、女性の中では出世頭だった。属性はおそらく――アルファ。  時代と共に属性の扱いが変わって、コンプライアンスの行き届いた会社では、年齢、恋人の有無、そして属性も無神経に訊ねてはいけない、とされている。  ここのような一部上場企業ならなおさらだった。入社試験の際にも記入欄はなかったと記憶している。  オメガの発情期が起きてしまったときの救急キットも、法人なら初めから設置が義務づけられているから、社員にオメガが新しく増えたところで、あらためてすることはない。  ただし、何事にも不測の事態はあるから、正式に雇用される際総務には書類を提出することになっていた。それはマイナンバー同様厳重に管理され、普段は誰も見ることが出来ない。もちろん人事に影響もしたりしない。  と、されてはいるけどね。     
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