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家を出るとき、まだリビングにいる麦に声をかけた。
「じゃあ、いってくるね」
麦は振り返り、うん、とだけ言った。私よりも麦の方が緊張しているみたいだった。
雨は思ったよりも強く、冷たかった。もう一枚上着を羽織った方が良かったかもしれないと少し後悔しながら駅に向かった。
私の乗った電車は途中、車両点検のためしばらく停車してしまった。しきりにアナウンスが状況を伝えているのをぼんやりと聞きながら、動かない景色を見ていた。雨は一向に止む気配がなかった。
結局、電車は十五分ほど遅れて目的の駅に着いた。電車を降りると待ち合わせ場所まで小走りで向かった。
(これじゃ、まるで夢と一緒じゃない)
モヤモヤとした感覚が、ふと湧き上がった。走りながら私は心の中で「落ち着け、落ち着け」と何度も自分に言い聞かせた。
待ち合わせ場所となっているモニュメントの前にはたくさんの人が集まっていた。群がる人の中からすぐに三人を見つけた。
まず最初に彼の横顔が麦でないことを確認すると、私は速度を落として息を整えた。
「遅れてごめんなさい」
「あ、おはようございまーす!」
「おはようございます」
「おはよう」
少しだけ口角を上げて笑みを作る彼の顔が少し強張っているように見えた。
麦と彼の緊張が伝染したわけではないが、電車の中では私も自然と無口になっていた。
四人が降りた駅は新興住宅地で、駅前には立派な商業施設が建ち並んでおり、駅前から少し離れるとすぐに静かな住宅街になっていた。
撮影現場に到着すると、彼は台本の変更をみんなに伝えた。
「……キスシーンはナシだ」
すぐに花岡君と杉木さんが反論した。が、彼は二人の意見を退けた。
「じゃあ、いいね。撮影を始めよう」
二人が撮影の準備をしている間、私と彼は踏切から少し離れた場所で傘を差して立っていた。
傘を弾くバチバチという雨音を聞きながら、花岡君と杉木さんがカメラをセットしているのを黙って見ていた。
警報音が鳴り響き、道路を挟んだ向こう側にある踏切を見た。そして、その向こう側にある建物の隙間から見える病院の看板に目が留まった。
(あ、そうか……)
その時私はあることに気付いた。
あの病院は彼の元カノが入院していた病院で、彼はお見舞いに行くときにいつもこの踏切を行き来していたのだろう。彼は思い出の場所を映画の撮影場所に選んだのだと思った。
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