第1章

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 友美が「あっ」と思った時には、もう友美は波に飲み込まれていた。一瞬にして浮き輪はどこかに行ってしまった。海の中で身体が二回、三回と回って完全に方向感覚を失っていた。泳げない友美は怖くて目を開けることができなかった。  ゴボゴボゴボ……驚いた拍子に肺の中の空気を全部吐き出した友美は苦しくなって、たまらず目を開けた。キラキラとした天井のような海面が見えた。あそこまで上がれば助かる、と思った。友美は必死に手足をバタバタさせた。 「くるしいよ。ママ助けて……パパ……お姉ちゃん……」  しかし、もう友美にはそこまで上がるだけの体力も、酸素も残っていなかった。次第に意識が遠くなっていった。身体がどんどん沈んでいくのが自分でもわかった。海水が氷水のように冷たく感じた。光る天井はもう見えなくなっていた。 「寒いよ……ママ……」  友美は眠るときと同じように静かに目を閉じた。  しばらくして、遠くの方でざわざわと人の声がした。その中に混じって母の声が聞こえてきた。 「友美、友美!」 (あ、ママだ)  そう思って友美は目を開けた。 「友美!」  母が友美に覆い被さっておいおいと泣いた。母の後ろには顔面蒼白の父が立っていた。姉の姿もあった。  どうして母が泣いているのかも、どうして自分がここで横になっているのかもわからなかった。 「友美、パパだよ。わかるかい?」  父の呼びかけに友美は黙ってうなずいた。 「意識が戻ったみたいですね。もう大丈夫だとは思いますが」  全身真っ黒に日焼けしたライフセーバーが父に話しかけていた。 「本当にありがとうございました」  深々と頭を下げる父にその男性は表情を変えずに言った。 「いや、私は応急手当をしただけです。お礼を言うならこちらの方ですよ」  男性は隣にいた中年の男性を指差した。 「偶然、この子が溺れる瞬間を見ていたものでね。もう必死でした。いやぁ、本当に助かって良かった」  その人物は父よりもお腹の辺りがポッコリとしていた。 「もう何とお礼を言ったらいいのか……本当に命の恩人です」 「いやいや礼には及びませんよ。私にもこの子と同じくらいの歳の子供がいるので他人ごととは思えなかったんです。助かって本当に良かった」  笑顔で立ち去る命の恩人に向かって両親は何度も何度も頭を下げていた。  ようやく意識もはっきりとした友美はゆっくりと起き上がった。
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