第1章

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 お風呂から上がった私はキッチンに向かい、冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターを一本取り出した。そしてそのまま自分の部屋に戻ろうとリビングを横切ろうとしたとき、リビングのテレビが気になって一瞬足を止めた。  リビングではお母さんがソファに腰掛けて缶ビールを片手にテレビを観ていた。それ自体はいつもの何気ない普通の光景だった。 「それではこれより今大変注目のマジシャン、藤井知洋による“サイキック・マジック”を皆さんにご覧いただきます!」  観客のワーッという喚声と大きな拍手がマジシャンへの期待を物語っていた。 「サイキックというのは超能力、という意味ですよね?」  若いアシスタントがわざとらしく尋ねた。  超能力、という言葉に私は引き寄せられるようにソファへ向かい、部屋には戻らずにいつの間にかお母さんの隣に座っていた。  大きな拍手に迎えられたそのサイキック・マジシャンはステージの中央に登場した。私は“サイキック・マジック”なんて言葉はもちろん藤井知洋という名前すらも知らなかった。 「私、この人好きなのよねぇ」  お母さんが出し抜けに言った。 「何か凄いマジックでもするの?」 「ううん、顔がいいの」  どうやらお母さんはマジックそのものではなくそれ以外の部分に興味があるようだ。三十代後半かと思われるそのルックスは悪くはないがやや線が細いように感じた。  マジシャンはまず氷水の入ったグラスを取り出した。キンキンに冷えているらしく、そのグラスの周りには無数の水滴が付いていた。  アシスタントの女性アナウンサーがデジタル温度計をグラスに挿すと、デジタル計は”4℃”を示していた。  そばにいたお笑い芸人はマジシャンに促されて一口飲んでみせた。 「あ、確かに氷水ですわ。よぉ冷えてまっせ」  関西弁で話すその芸人の顔に見覚えはあったがすぐには名前が思い浮かばなかった。  マジシャンはグラスを返してもらうと、カメラによく見えるように自分の目の位置に掲げた。 「いいですか。これからがサイキック・マジックです」  私はグラスがどうなるかよりもさっきの芸人の名前の方が気になって仕方がなかった。 「今からこの水を沸騰させてみます」  そう言うと彼はグラスを持ったまま黙り込んだ。精神統一しているみたいだった。  彼がグラスに全神経を集中させてから十秒ほどすると、急にスタジオがざわめいた
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