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そこに現れたのは赤羽ではなく、副担任の尾久だった。
「日直、号令」
職員室から教室まで小走りでやってきたのか、少し息が上がっていた。
「今日、赤羽先生は急用ができて来られなくなった。さっき職員室に先生から電話が入った」
「先生、今日返される予定だった数学のテストは返ってくるんですか?」
どこからか聞こえてくる生徒の問いに尾久は即答した。
「テストは赤羽先生が保管しているそうだから、後日赤羽先生から直接返されることになる」
ということは、今日の死刑宣告はなくなったと言うことか。厳しい現実に直面するのが少し先延ばしになったことで私はひとまずホッとした。先延ばしになったところで点数は変わらないが、もう数日は現実を直視しなくても済むのは精神衛生上好ましいことではあった。
急遽自習となった一時限目を終えると紀子はそそくさと教室を出て行き、そのまま休み時間が終わるまで戻ってこなかった。その後も紀子は休み時間の度に教室を出て行った。
お昼休み、いつものように教室にやってきた素子は紀子の姿を見つけると一目散に駆け寄った。
「紀子ちゃ~ん、会いたかったよ!」
素子が紀子の胸に飛び込んで顔を埋めた。帰宅したご主人に興奮するペットをあやすように素子を抱きしめながら、紀子は何度も彼女の髪を撫でた。
「私も会いたかったわよ~」
「今日は紀子ちゃん、休み時間の度にどっかへお出かけしてたよね」
素子が潤んだ目で紀子を見上げながら言った。
「ひょっとして、昨日いっぱいお水飲み過ぎたせい?」
「何それ?」
「だって、ずっとトイレに行ってたんでしょ?」
「いくら何でも毎時間トイレに行くわけないじゃない! どんだけ私のタンクが小さいのよ」
二人のやりとりを見ながら、ボケとツッコミというのは漫才の基本スタイルなんだなぁと、ぼんやり思った。
いつもの和気藹々としたランチタイムを終え、素子とミエが自分達の教室に戻っていくのを見計らってから紀子が私に向かって言った。
「今日、学校が終わったらちょっと付き合って」
「また『あみん』に行くの?」
紀子は首を横に振った。そして私の方に顔を近づけて小声で囁いた。
「病院よ」
病院? と私が聞き返すと、彼女は黙ってうなずいた。
「どうやら赤羽は病院に入院しているらしいの」
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