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この、単純きわまりない解釈で、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の名を読み解いてみます。「高御・たかみ」は「高いところ」と読みとり、「産巣・むす」は、さきの本居宣長説をとって「産む・生まれる」と読みとり、「日・ひ」を「お日様・太陽」と読みとります。すると、こうなります。
「高いところに、日(太陽)を出ずる神」
では、神産巣日神(かみむすひのかみ)はどうでしょう。こちらも、基本的には同じです。
「上のほうに、日(太陽)を出ずる神」
いかがでしょうか。シンプルすぎますか?
でも、ここであらためて考えています。「ひ」は、それが「日(太陽)」であるにせよ「火」であるにせよ、どんなものであるかを。
太陽も、火も(考えてみれば、太陽だって燃えて火に包まれる天体です)、私たち人間にとって、たいへん重要なものです。重要というより、「日」は、それがなければ生きることさえできないものであり、「火」は、ふだんの生活はもちろん、人間の文化や文明の礎を築く上で欠かせないものです。その「欠かせないもの」「貴重であり重要なもの」が「ひ」である、と捉えることはできないでしょうか。それならば、私は、さきの本居宣長の「霊異なるもの」という解釈にうなずけるような気がしてきます。「日・ひ」は、私たち人間はもとより、地球上に生きとし生けるものにとって欠かせないものであるけれども、それは「当たり前のようにそこにある」のではなくて、私たちが生きる力を与え授けてくれる「ありがたい存在」であり、その「ありがたい」という「感謝」や「敬意」や「畏(おそ)れ」、そうした意味をこめた語こそ、「日・ひ」と読みとれば、そこに「霊異」という言葉を使った本居宣長の説ともつながってくるように思うのです。
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