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東京中央大学病院は地下2階、地上8階建ての東西2棟の総合病院で、公道を挟んだ向かいの診察棟へは、屋根付きの連絡橋で往来が出来るようになっている。
診察棟の屋上は空中庭園として開放されており、病院の施設全体は、テレビドラマや映画のロケ地として提供されていた。
和久井は、公道傍の民間の駐車場へ車を停めて、診察棟の正面玄関へ向かった。
街路樹の葉がさらさらと音を奏でながら揺れている。
木漏れ日と潮風が吹き抜けるエリアにいても、人の姿を見かけることはなかった。
相変わらず鳴り続ける国民保護サイレンを無視しながら、病院ロビーへ辿り着き足を止める。
作動する自動扉と点灯したままの間接照明。
メイン通路の、弓なり型の天井に飾られたステンドグラスが、日差しのかけらをホールに散りばめている。
広大な待合室に置き去りにされた、幾つもの鞄や折り畳み傘。
窓口カウンターに転がるボールペンや保険証。
それらの忘れ形見には埃が積もっていて、長い間この場所へ人の出入りがなかった事実が見て取れた。
和久井は傘を眺めながら思った。
あの日は大雪だったのだなと。
東西の出入り口を結ぶ通路の中央にエレベーターが見える。
そこへ向かう和久井の足音だけがこつん、こつんとホールに響く。
スタッフステーションの、LED照明に照らされたノートパソコンの全ての画面がフリーズしている。
あの日、この場所にいったいどれくらいの人間がいたのだろう・・・そんな思いが和久井の脳裏をかすめていく。
エレベーターホール前に忘れ去られたベビーカー。
ちいさなぬいぐるみがあちこちにぶら下がっていて、ピンクのビニール製の雨除けにも、ペンギンのキャラクターが描かれていた。
ここに座っていた子供、ベビーカーを懸命に押して来た親、詰めかけて来た避難民や入院患者やその家族、働いていた職員の全てが、あの日に消えたのだなと和久井は改めて思い、エレベーターは使わずに階段をゆっくりと上って行った。
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