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 ぼそぼそと呟くように問う、動きの少ない口元を、店主は暫し返答することも忘れ茫然と見あげた。薄汚れたフードの下からかいま見える顎の線は、意外にも都びとのような、典雅な曲線を描いていた。声からしても若い男と見えた。  風雨とともに現れたこの客に、店主は何やらよく判らぬ威圧と畏怖とを感じていた。まるで嵐の夜に降り立った(すだま)のような、どこか暗い、そして唯人ならぬ気配を、男は発していた。  殺気とは違う。もっと静かなものだ。何者をも寄せ付けぬ孤高の色を、纏っているとでもいおうか。  店主は漠然とした恐怖から咄嗟に満室だと云い掛け、思いなおした。一瞬圧倒されるほど凄みのある旅人だが、貴重な客であることには違いない。 「も――も、勿論だ、空いているとも」  首を小刻みに縦振りながら店内に促し入れると男は、二歩三歩、ゆっくりと入って扉を閉めた。そしてフードを脱ぎもせず無表情に――声からして無表情と判ぜられるのである――告げた。 「部屋だけでいい。飯は要らん、」  踝あたりまで覆う長いマントは、よほど使い古されているのか裾もところどころほつれている。その裾から水滴が絶え間なく滴り、床の木目を濡らしていく。  ふと目を落とした店主は、男のマントが前に奇妙に膨れていること、そしてマントの下から覗く靴が、4つあることに気づいて驚いた。 「ああ――いや、連れに何か、体の温まるものを」  店主が顔を上げるのと、男がマントの前袷せを僅かに持ち上げるのとはほぼ同時だった。  マントの内側に垣間見えたのは、男に寄り添うように立つもうひとりの人影。背丈は、男の肩ほどもない。  こちらも旅装ではあるがフードは被っておらず、男の腕のつくる影の下から澄んだ色をした眼が店主へ向けられ、次いで物珍しそうに、店内のあちこちへと素早く飛んだ。  この雨だというのに服も髪も濡れていない。男と同じように汚れているのは足元だけだ。恐らく男の大きなマントの中に庇われるようにして、険しい山道を登り来たのだろう。
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