マヒルノツキ

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 あの夜を境に世界は変容した。  “それ”が最初に“記録”されたのは一九八六年、六月の事だった。だが、後に地上を恐怖のどん底に引き落とす“それ”の最初の扱いは、とても“ぞんざい”なものだった。  月に似た“それ”は、昼夜を問わず一週間の間、地上からのみ観測する事が出来た。衛星写真では映らない謎の“それ”は、故に『真昼の月』や『地上の月』、はたまた『蒼褪た月』等と呼ばれた。だが、この時は胡散臭いオカルト誌が異変だ等と騒ぎ立てた程度で、人々の記憶には殆ど残っておらず、その存在は時間と共に風化していくだけだった。  二度目の観測は、最早“それ”が人々の記憶から欠落して久しい、二〇一二年の二月の事だった。実に二六年ぶりの観測だ。  この時は、約一ヶ月間にも及ぶ長期的な観測だった為、流石に国家レベルの動きがあり、ある種の社会現象にまでなる程、各種情報メディアは報道し続けた。名立たる学者達も挙って“それ”の研究を開始した――が、“それ”については何も解らなかった。解ったのは、“それ”は常に満月であり、実際の月と違って満ち欠けしないとい、う程度の事だった。  名立たる学者すら皆目検討もつかない謎の“それ”。解けない謎は人々から関心を奪っていく。まもなく、“それ”はゴシップ誌やオカルト誌以外からは見向きもされなくなった。  そして、再び“それ”が見えなくなると、ゴシップ記事さえも“それ”の話題には殆ど触れなくなった。話題性が無くなると、“それ”は急速に人々の記憶から消えていく。  辛うじてオカルト誌だけがその謎を追ったくらいだ。『不思議なもの』――世間一般の認識は、所詮その程度のものでしかなかった。茶の間に一時の話題を届ける。旬を過ぎれば見向きもされない。その程度の扱いだ。  とあるオカルト誌が、一つの記事を掲載した。『あの月のような“それ”が現れてから、異形なモノの目撃が相次いでいる』のだと。  UFOやらUMAやら、“それ”は大国の造った兵器であり、それよって突然変異した人間だ等々――良くある……そう、良くあるありふれたオカルト話だ。誰もがそう思っていた。当時のその時は。  だが、“それ”が三度目に観測された時、事態は一変する。二〇二八年の四月、真なる恐怖は、そこから始まったのだ。
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