第一章 四月一日、牙城院家にて

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 ノックの主が誰かはわかっている。返事をする前に押し入ってくるような無作法な人間ではない。  とは言え、油断は禁物だ。  彗は高速で思考を巡らした。ベッドの中でパジャマ脱いでパンツ脱いでクローゼットまで走って新しいパンツ出して履いてジーンズ履いて……よし。  イメージトレーニング、完了。  彗はドア向こうの音源に向かって返答した。 「はい、ちょっと待っ……」  ガチャ。  まさか返事を待たずにドアが開くとは。 「にぃさま……?」  細くひらいたドアの隙間から半身が覗く。  今にも泣きそうなか細い声。  扉のノブと同じくらいの背丈。  寝ぐせのついた試しのない、真っ黒ストレートのおかっぱ頭。  彗の妹、牙城院花(がじょういん はな)だ。 「ど、どうした? ハナ」 「にぃさまのお部屋から苦しそうなお声が聞こえたので……」  花はクスンッと小さく鼻をすすった。泣くのを我慢しているようだ。 「あ、あぁ、起こしちゃったか。すまん、花」 「いえ、ハナは起きてました。でも、怖い夢を見てしまって……。にぃさまが心配になって……」  花が怖い夢を見るなんて珍しい。  しかし、彗よりも気質--遺伝性の特徴--の発現が早い花。  彼女の夢に顕れたのだろうか……俺の凶兆が。 「! にぃさま、お顔の色がいつもより白い……」  花が心配そうに駆け寄ってくる。マズイ。非常にマズイ。布団を剥げば穢れた下半身。純真な妹にそんな姿をさらすわけにはいかない。 「にぃさま……あら?」  ベッドに寄りかかり俺の頬に手を当てた花は眉根を寄せた。 「ど、どうした?」 「何か……」  花はクンクンと匂いを嗅いでいる。 「!」  自分ではあまりわからなかったが、もしかして……いわゆる栗の花の香り的なやつが漂っているのか!? 「ハナ! ちょっとどいてくれ!」 「にぃさま?」 「わるい、腹が痛いんだ!」  俺は腹痛をこらえる仕草をして--下腹部に無造作に両手を当てて汚れを隠しつつ--ダッシュで部屋を出た。  兄の部屋にひとり残された花は、手を顔で覆って落ち込んでいた。 「にぃさまに恥ずかしい思いをさせてしまいました……ハナったらなんて不躾……」  それでも花は兄の部屋に漂う不思議な残り香をつい追ってしまう。  クンクン。 「お腹が痛いとおっしゃっていたけど、……お尻からのガス、とは少し違うような……?」
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