ショートストーリー
クリスマス。
365日の中で、その日を特別な一日だと位置付けている人は、どれくらいいるのだろう。何も意識せず、通常送る日々と同じように過ごす人ももちろん多いだろう。けれど、私にとっては違う。確実に、この日は大きな意味を持っているのだ。
「ねぇ、悠里。今年のイブはどんな風に過ごす?あと二週間だよ」
「そっか、もうそんな時期か。去年は俺の家で過ごしたもんな」
甲斐悠里。この世で最も大切な存在である、私の夫。彼の生まれた日が、クリスマスイブなのだ。昨年のイブは、彼がひとりで暮らす家に愛犬のもずくも連れて行き、初めて一緒に過ごした。外で食べるような贅沢な食事は作れなかったけれど、彼は満足そうに笑い、私も至福の時間を過ごすことが出来たと思っている。
「今年はどこかで外食して、定番のイルミネーションでも見に行く?」
「それもいいよな。かなりベタだけど、楽しそう」
恋人関係ではなく、夫婦という関係になってからも、互いが生まれた日くらいは一緒に祝い、誰よりもそばで過ごしたい。この先も変わらずにいられたらいいと心から思っている。
「ちょっと店探してみるか」
日曜日の昼間。録りためた映画を見ながら、二人並んでリビングのソファーにもたれる。膝の上で眠る愛犬を撫でながら、コーヒーを飲み会話をする。こんな何気ない時間が、とても幸せだと感じる。
「私も今、検索してみるね」
二人でスマホを駆使しながら、クリスマスに過ごす店を検索していると、彼のスマホがピロンと音を鳴らした。
「あ、山崎さんからメッセージだ」
「山崎さん?」
「俺が前に住んでた家の近くにあった居酒屋で知り合った人。俺より五つ年上の、凄い性格いい男でさ。へぇ、山崎さん結婚したんだって。いつもの居酒屋で結婚パーティーするから来てくれないかって」
「それはおめでたいね。お祝いで駆け付けてあげないと」
彼は社交的な性格のため、友人がとても多い。限られた友人としか連絡を取っていない私とは大違いだ。彼の交友関係を全て把握する事は、恐らく無理だろう。でも、それでいいと思っている。結婚してから、自分の心に余裕が生まれたのだろうか。出来る限り、束縛はしたくないと思えるようになったのだ。
「あー……でも、無理だな」
「え、どうして?」
「パーティー、イブの夜にするんだって」
「え……」
その日は当然のように二人で過ごすつもりでいた私は、わかりやすく狼狽えてしまった。
すると彼はそんな私に気付いたのか、優しく微笑み私の頭を撫でた。
「そんな顔するなって。行かないから」
「でも……」
「クリスマスは、依織と二人で過ごしたいんだよ」
そう言って彼は、山崎さんに断りのメッセージを送信してくれた。するとその数分後、再度彼のスマホが鳴った。どうやら山崎さんから電話の着信のようだ。
「あ、電話だ。ちょっと出るわ」
電話の奥の山崎さんの声が、甲斐の隣にいる私の耳にも届く。
「結婚おめでとうございます。で、相手は?え?マジで?やっぱ俺、お似合いだと思ってたんですよね。いや、お祝いには行きたいんですけど、その日は俺も奥さんと二人で過ごす予定なんで。別の日にお祝いさせてもらってもいいですか。……え、いや、それはちょっと……」
甲斐が気まずそうに、隣にいる私に視線を合わせた。どうしたのだろう。
「だから別の日にちゃんとお祝いしますから……って、電話切れた」
「どうしたの?」
二人の電話の会話が終わったことを確認してから、私は彼に声を掛けた。どうやら強引に電話を切られたらしく、甲斐は一気にご機嫌斜めの様子だ。
「イブの日は奥さんと過ごすから行けないって断ったんだけどさ、ちょっとでいいから顔出してほしいって言われて。で、奥さんも一緒に連れてきてって」
「えっ、私も?」
「俺も結婚したことは報告してたんだけど、依織に一度会ってみたいんだって。俺が断わる前に電話切られた」
少しも誇れることではないけれど、私は相当な人見知りだ。初対面の人たちが集まる場所に顔を出すなんて、最も苦手とするシチュエーションだと言ってもいいだろう。きっと今までの私なら、遠慮しておくと言って断ったに違いない。でも、なぜだろう。素直に、行ってみたいと思えたのだ。
「いいよ」
「え?」
「せっかくのお祝い事だし、ちょっと顔出してみようよ。私も、悠里が通ってたお店の人たちに会ってみたいし」
「けど依織、初対面の人たちと会うの苦手だろ?無理しなくていいよ」
「無理してないよ。ただ純粋に、一緒に行きたいと思ったの。ちょっと顔出して、その後悠里の誕生日のお祝いは二人でしようよ」
「……本当にいいの?」
「うん」
「じゃあ、山崎さんには奥さん連れて行くってメールしておくよ」
こうして、結婚してから初めて迎えるクリスマスイブは、当初考えていたものとは全く違う日となった。当日は平日のため、私も甲斐も普段通り仕事をこなし、業務終了後に職場の近くのカフェで待ち合わせをした。
先に待ち合わせ場所に到着した私は、ホットのミルクティーを注文し、窓側の席に腰かけた。
「あったかい……」
外は雪景色で、今年は見事なホワイトクリスマスだ。寒さに弱い私にとって、冬はあまり好きではない季節だった。でも甲斐に恋をしてから、その価値観は変わった。愛する人が生まれた季節は、嫌いになれないと思うようになったのだ。
「依織、お待たせ。ごめん、だいぶ待った?」
息を切らしながら、私に駆け寄る甲斐。結婚して月日が経った今でも、不意に思う。目の前にいるこの人と結婚した私は、世界一の幸せ者だと。もちろんそんなことを思っているなんて、恥ずかしくて口には出せないけれど。
「少し早く着いちゃったから、ミルクティー飲んでた。もう飲み終わったから、すぐ行けるよ」
「じゃあ行こうか」
待ち合わせの場所から市電に乗り継ぎ、二十分ほどで目的の店に到着した。彼が結婚前に一人暮らしをしていたマンションから徒歩で五分も掛からない距離にその店はあった。こじんまりとした外観の店からは、中で相当盛り上がっているのか笑い声が外にまで聞こえてくる。
「ここだよ。多分もう皆集まってると思う」
「なんか、凄い盛り上がってそうだね」
「だいぶ出来上がってそうだな。長居はしないから、頃合い見て早めに帰ろ」
甲斐が私の前に立ちお店の扉を開けると、一層店内の声が響き渡った。
「甲斐じゃん!久し振りだな!」
「甲斐、お前最近全然顔出さなくなったよな!」
「甲斐元気だった?」
次々と甲斐に詰め寄る男性たちの勢いに、私はすっかり圧倒されてしまった。それにしても、甲斐はどれだけ人気者なのだろう。皆、甲斐に会えてとても嬉しそうだ。職場でも甲斐のことを悪く言う人はいないくらい、沢山の人に好かれているけれど、まさかここでもこんなに好かれているなんて、本当に私の夫は人望が厚い。
すると、甲斐に詰め寄っていた男性の一人が、圧倒されて立ち尽くしていた私の存在に気が付き声を上げた。
「え、あれ、もしかして彼女……」
「俺の奥さん。山崎さんが連れてきてってうるさいから」
俺の奥さん。その響きが未だに新鮮で、私の耳をくすぐる。
「甲斐の奥さん!?てことは……君があの六年越しの片想いの!?」
「え……」
気付けば私はあっという間に囲まれ、席も用意されビールも注文されていた。甲斐は今日の結婚パーティーの主役だと思われる夫婦に話しかけられ、会話を楽しんでいる。
「七瀬さん、ですよね?あ、今は結婚したから甲斐さんか」
一人の男性が私に声を掛け、私の隣に座った。互いに注文していたビールで乾杯し、キンキンに冷えたビールを一口飲んでから、私は疑問を投げかけた。
「あの、どうして私の名前を知ってるんですか?」
「え、どうしてって……君、ここでは有名人だから」
「え?」
するとその会話を聞いていた女性数人が、私と男性の会話に割って入ってきた。
「そうそう、有名人ですよ。ここであなたのこと知らない人はいないんじゃないかな」
「どんな人なんだろうって、ずっと会ってみたかったんですよ。一時は甲斐くんの妄想で存在する人かと思ったけど、ちゃんと実在してて良かったよね」
「結婚したって聞いたときは、ここにいる皆、誰もが驚いたもんな」
皆が盛り上がる中、私だけいまいち話がよくわからず、私の話をしているはずなのに置いてけぼりの状態だ。
「すみません、あの、どういうことですか?」
「甲斐、君に何年も片想いしてただろ?それをここにいる連中は知ってて、陰ながら皆で応援してたんだよ」
「毎年、彼氏彼女がいない人はイブからクリスマスにかけて、この店に集まってるんです。で、甲斐くんも結婚前はほぼほぼ毎年その寂しい集団の中に名を連ねてたんですよ」
「他の男と長年交際していて同棲までしている女性に何年も片想いしてるって初めて聞いたときは、バカな男だと思ったけどね」
「あ……」
だんだん、話の内容が見えてきた。甲斐が何年も私のことを想い続けていてくれたことは、私も知っている。そのことを、この店にいる皆にも甲斐が打ち明けていたのだろう。だから私は、ここでは知られた存在だったのだ。
「甲斐くんがあなたと結婚したって聞いたときは驚いたけど、自分のことのように嬉しかったな」
「私も!奇跡って起きるんだなって、ちょっと感動しちゃったもんね」
「アイツ、イブが誕生日のくせに毎年ここで俺らと酒飲んで、落ち込んでたもんな。今頃七瀬は、楽しんでるんだろうなとか言ってさ」
そんなことを聞かされて、嬉しくないはずがなかった。自分のいないところで自分の話をされていたことは恥ずかしいけれど、甲斐の私への想いの強さが伝わってきた気がして、胸の奥がじんと温かくなった。
「けど奥さん、甲斐くんが一途な人で良かったですね」
「え?」
私より明らかに若くて可愛い女性が、悪戯な笑みを浮かべて言った。
「実は何年か前、私の友達が甲斐くんのこと好きになっちゃって。甲斐くんに告白したんですけど、フラれたんですよ。友達、凄く美人で性格も良いから、うまくいくと思ったんですけどね。好きな人がいるからって。いまどき、あんな一途な人いないから、甲斐くんのこと大事にした方がいいですよ」
「それはもちろん……大事にしています」
甲斐が男女問わず好かれていることは、わかっている。出会ったときから、彼は太陽みたいな存在で、不思議と周りにいる人たちを笑顔にしてしまう魅力があった。その魅力に気付いてしまったら、惹かれてしまうのも無理はない。
今こうして私が甲斐といられるのは、甲斐が一途に私だけを見つめ続けてくれたおかげだ。よそ見せず、ただ私だけを真っ直ぐに想い続けてくれたから、今がある。それは、私の人生の中で起きた最大の奇跡なのだ。
「でもさ、甲斐が良いヤツだってことはもちろんなんだけど、奥さんも相当良い女性なんだと思うよ」
「えっ、私ですか?」
「甲斐が何年も想い続けるほど、魅力があるってことでしょ。実際今日こうして会って、想像の何倍も美人でびっくりしたし」
「いえ、そんなことは……」
「奥さんさ、友達で彼氏欲しがってる子とかいない?俺、もうずっとフリーで、彼女欲しいんだけどなかなか出来なくてさ。次付き合う子は結婚前提って考えてるんだけど、良かったら今度合コンでも……」
男性はかなり酔っているのだろうか。何だか微妙に私との距離も先ほどより近くなっている気がする。少しだけ危険を感じ身体を反らせたところで、甲斐が来てくれた。
「ストップ。俺の奥さん、口説くの禁止だから」
私と男性の間に入ってくれた甲斐の背中が頼もしく見えて、今にも抱きつきたい衝動に駆られた。
「じゃあ、依織そろそろ行こうか」
「え?もう行くの?でもまだ来たばっかりだし……」
まだ乾杯のビールしか飲んでいないし、主役の二人に挨拶すら出来ていない。
「今日は最初から顔だけ出す予定だったから」
そう言って甲斐は強引に私の手を握り、私たちは足早に店から立ち去った。
「ねぇ、本当に良かったの?もう少しゆっくりしても良かったんじゃ……」
「いいんだよ。主役の二人にはちゃんとお祝い渡せたし、短い時間の中でもいろいろ話せたし」
「そっか。悠里がいいならそれでいいけど。でも、皆凄く賑やかな人たちだったね。なんか、圧倒されちゃった」
すると、駅へ向かって歩いていた彼の足が止まった。
「悠里?」
「さっき、大丈夫だった?めちゃくちゃ距離詰められてたけど、触られたりしなかった?」
「え……あ、うん。全然、少しも触られてないから大丈夫!」
「ったく、あの酔っ払い……油断も隙もないな」
嫉妬してくれているのだろうか。甲斐はいつも、自分の気持ちを隠さない。今何を思っているか、素直にさらけ出してくれる。私はそんな正直な甲斐が、愛しくて仕方ないのだ。
「ふふっ」
「何で笑ってんの」
「なんか、嫉妬とかしてくれるのって、やっぱ嬉しいなと思って」
「……どうせ俺は心が狭いよ」
「大丈夫、私も同じくらい心狭いから」
甲斐の常連のお店に、あんなに若くて可愛い今どきの女の子たちがいるなんて、知らなかった。もちろん何もないことはわかっているけれど、一緒に飲んでいる姿を想像しただけで胸がざわざわしてしまう。結婚すれば、もっと自分の心に余裕が生まれると思っていたけれど、それは思い違いだったのかもしれない。
「へぇ、依織も嫉妬してくれたんだ」
「え……」
目の前に、一瞬意地悪な笑みが浮かび、直後、唇が重なった。
「相変わらず、可愛い」
「……」
今、私、どんな顔をしているのだろう。
「よし、早く家帰ろ。帰って早く依織を抱きたい」
「な、何言ってるの」
「なんだ、同じこと思ってたんじゃないの?」
甲斐は本当に鋭い。いつでも簡単に私の心の中を読む。今、この瞬間に、甲斐に抱かれたいと私が思わないわけがないのだ.
「……めちゃくちゃ同じこと思ってたけど」
「だろ?」
私が白状すると、甲斐は満足そうに笑った。
「結局、お店とかどこも予約してなくてごめんね」
「なんで謝んの?俺は、依織と過ごせるだけで最高の誕生日だし最高のクリスマスだと思ってるよ」
決して私に気を遣って言っているわけではない。本心で、そう思ってくれている。それがダイレクトに伝わってきて、思わず泣きそうになり必死に涙を堪えた。
「悠里。誕生日、おめでと。あと……メリークリスマス」
これからあと何年、あと何十年、今日という日を一緒に過ごせるのだろう。一分一秒も無駄にしたくない。ただ、永遠にこの幸せが続くことを、切に祈るばかりだ。
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