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簡潔にいうと、私たちが見てきた『前世』は今の科学が実現したヴァーチャルの世界だった。元の個体の記憶は引き継がず、設定された世界で別の人間としてその畢生(ひっせい)を過ごす。人間が記憶できるキャパシティを克服した今だからこそできる技術だ。 でもまさか、自分が生きてきた世界が全て作り物だった。そこにあると錯覚させられたものだとは思わなかった。これが偽物だと疑ったことも一度もなかった。 そしてこの事実を知ると全てが疑わしくなる。今私が話している助手も、実は0と1の塊ではないのか。目が覚めたこの世界もまやかしではないのか。 また、この問題は証明が不可能である。200年近く過ごした私でも、では死んでみろとしか言うことができない。 「このヴァーチャルライフ技術は多くの問題を抱えるからね。だからこそ私たちが率先して被検体になる必要があった。記憶を引き継げるように設定し、今回のように時間倍率を最大に引き上げればわずかな時間で数十年の知識を持った学者だって作れる。その時間に破滅の思想の芽を育てる輩も出るかもしれないし、無尽蔵の時間というのはパンドラの箱かもしれない」 助手はまた頷いた。世界の真偽と同様に、この技術がどう転ぶのかもまた私たちにとっては不可能命題だ。 私はふと、前世での小さな言葉を思い出す。胡蝶の夢というものだ。 昔、荘子という男がいた。荘子は夢を見た。それは自分が蝶になり野原を飛び回っているという夢だ。しかし目が覚めてみると、当然荘子は荘子だった。 さて、今自分が見ていたのは蝶の夢だったのだろうか。それとも、実は自分が蝶で荘子という人物の夢を見ているのだろうか、というものだ。 ――私が当たり前で疑わなかった世界は私が見ている夢だった。 今私が見ているのは、誰か別の私の夢なのだろうか。 少なくなった珈琲の生ぬるさが不確かな脳に落ちていった。
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