気になる木になる

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 私の目に映る「特別」は大きく分けて2つある。  一つは特別な想い、誰かが誰かを、あるいは誰かが何かを愛しているということ。  もう一つは私の人生を変える何か――いわゆる未来予知の力だ。  良くも悪くもその後の私の人生を変える日付が私の目には「特別」に映るのだ。とは言ってもその詳細は分からない。だからこそ回避もできない。ただ心の準備ができるだけだ。  前者はともかく、後者の力は本当に、何の役にも立たない――少なくともこれまでの人生で役に立ったことがない。悪いことだけ分かるのであれば危機回避のやりようもあるが、良いことまで同じように分かるのだから逃げるわけにもいかない。最近では良いこととして好意を持っていた男子に告白されたこと、悪いこととしてその男子にやっぱり違うと振られたこと、その両方がカレンダーにまったく同じハートマークを浮かべていたことが印象的だ。  せめて前者の力で相手の気持ちが冷めているのが事前に分かっていたならどうにかなったのだけれど、残念ながら世の中そう甘くはなかった。  私は私に向いている「特別」を直接見ることができないのだ。鏡を使っても分からない。最初はもしかして私は誰にも愛されていないのではないか、と自虐に走ったが誰がどう見ても私を溺愛しており、間接的な愛も惜しまない両親が私を特別に思っていないはずがないとすぐに立ち直った。  間接的な愛とはつまり、私の私物に対する愛だ。私の持つリコーダーやピアニカ、靴や体操服、果てには文房具の一つ一つにまで、両親からの愛が強く込められている。 私は私への「特別」な想いを私物へ向けられる愛から判断しているのだ。  それだけでも他の人に比べれば恋愛に対するアドバンテージは大きいはずだが、そこには罠が存在する。それは相手が単純にその物自体を愛している可能性だ。実際に先の男子の好意については、私が持つ物のブランドに並々ならぬ愛があり、それを私への愛と勘違いしていたということがある。  あの時は恥ずかしくて、自分の力に失望して、死にたくなった。こんな思いは二度とごめんだと心に誓った。そのせいで、私は他の誰よりもチキンになった。  そうやって自らをチキンと認めた日から、私がしたことが一つある。  それはマフラーで自らに翼を授けるということだ。  我ながら脈絡の無さに驚くが、あるCMに惚れたんだよね。  『ブルードッグ、翼を授ける』
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