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「オレ、全然だめじゃないか……」
何も考えずにピアノを弾いてきた。求められるまま技巧をひたすらに磨き。とにかく難しいとされるリストの曲ばかり練習して。叱咤されるままに楽譜を忠実に再現して。誰よりも素早く正確に音を刻むこの指は、誰よりも無感動で。
きっと同じように生きてきた。何も考えずに生きてきた。与えられるままに享受し、自ら何かを欲したり何かのために動くことなどなかった。
――椿のことだって。前兆はあった。椿は碧生が携帯電話で他者と連絡を取るのを極端に嫌がった。今思えばあれは過剰な独占欲の現れだった。なのに、気づかないふりをした。椿は優しくて完璧な人間に違いないなんて幻想を抱き。椿が豹変してからもつらいつらいと泣くだけで、どうして彼がああなってしまったのか、彼と今後どう付き合っていったら良いのか、ちゃんと向き合おうとしなかった。
その結果が、今の空虚な自分だ。
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