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「孫娘の結婚が決まったんだ・・・」
「そうですか・・・それは、それは・・・おめでとうございます。」
テーラームーン
ここはフィッシュの店。紳士服の仕立て屋だ。
今の時代、どんなお洒落さんでも、こんな店で服を仕立てる者は滅多にいない。
フィッシュは腕のいい仕立て屋だが、今、店の常連客はほぼゼロだ。
それも毎朝店の前を箒で掃き、ガラスを磨き、店構えは繁盛していたころの品格を落としてはいなかった。
「特別な日だから、君に頼もうと思ったんだ。」
「ありがとうございます。お色は・・・黒にいたしますか?最近はグレーなども流行りの様ですが・・・」
「フィッシュはどう思う?」
「そうですね・・・やはり、私なら黒を選びます。ウエディングはクラシックなスタイルで品よく着こなされたほうが場にふさわしい。親族がやたらと派手では、式そのものがちぐはぐな印象を受けます。」
フィッシュは奥の棚に美しく並んだ黒のウール生地の中から、太陽の光の元でも美しい黒を放つ黒の生地を出し、鏡の前の客の肩にかけた。
「そう・・・じゃあ、それにしよう。シャツも、タイも、すべてを新調する。
全て君に任せるよ。君の腕はやはり最高だ。娘の入学式の時に作ってもらったスーツも、とても着易かった。共地で作ってもらった娘のワンピースもとても喜んでね。」
「光栄です。採寸いたします。」
フィッシュは客の言葉にほんの少し微笑みを返しただけで、あまり深く話こもうとはしなかった。いつもこんなにそっけない男ではない。
話好きで、愛想のいい男のはずだ。
「そうだね。そうしてもらおうかな。」
フィッシュはメジャーを客の体に当て、手早くサイズを測った。
今日のフィッシュはパリッと糊のきいたシャツに細身のパンツ、ベストを着て、新しくはないがよく手入れされた茶の革靴を履いていた。カフスは血のように赤いルビー。中を覗くと、フィッシュの出身の文様がある。この客が来るときは、必ずこのカフスをつけることにしている。
フィッシュにとってもまた、この客は特別だった。
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