無情

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 自分という人間を一言で言い表すとするなら、候補の1つは“恥さらし”です。  特に、客観的な印象で、それが色濃いと思われます。  自分は両親が共働きで、幼少期の普段から、昼も夜も1人で過ごしていました。  時々は母親が家に居ましたが、父親や職場との関係が好ましくないらしく、ほとんど毎日と言っても過言ではないほどに不機嫌でした。不機嫌な母親はその不満を自分にぶつけることで発散していたようで、細かな事でも執拗に叱りつけられました。  そこまでは、どの家庭でも窺えるものかと考えます。しかし自分の家の場合はどうしても嫌な事がありました。ねちねちとした嫌味の言葉が叱りの後から尾を引いて、自分の思考を一杯にするのです。  自分には妹が居ましたが、自分はその妹に対して、自分が母親から受けた嫌味を、何か苛立ちを覚えた際などに、同じようにねちねちと連ね、妹に拭い付ける事で、半ば深みを理解せぬまま、半ば無自覚に発散していました。故に、妹との関係は劣悪でした。口を利きませんでした。ですから、自分はほとんどの時間を1人で過ごしました。  教育らしい教育は受けたためしもありません。というのは、自分にとっては叱りという名の教育よりも、その後から尾を引いた嫌味の方が酷く印象的で、身に覚えたのは教養ではなく、単なる不快感と恐怖感、そして先々への不安感だけだったからです。その日々が5年ほど続き、両親は離婚しました。それからは、朝4時から夜10時まで働き詰めの父親のもとで暮らし、1人で居る時間は一層増えました。中学校では3年間いじめを受け、学校でも1人で居ました。自分の場合その状況下では、自ずから意欲的に動き、視野を広げ、自然に知識を磨いていくような事にはなりませんでした。
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