第一幕:将来なんになるのー?

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「おい、岸本。お前、将来の夢とかあるか?」 「え?」  やや矛先の軌道が変わる夏輝からの問いに岸本くんの顔が上がる。 「将来の夢とかあるか? そう言ったんだ」 「獣医です。ゆくゆくは自分の病院も持ちたいと思っています。借金をしてでも」  彼の目つきが明らかに変わった。未来の希望に目を向けたとき、人間は活力を取り戻すのだ。常住坐臥、不躾な態度を崩さなかった夏輝だけれど、さすがに人の夢を笑うほど低俗な人間ではない。これに対しては 「たいそうな情熱だな。一年生から志の高いことだ」  と賞賛の言葉を忘れなかった。取りようによっては皮肉に聞こえなくもないが、少なくとも僕はそうは感じなかった。この言葉は夏輝の本心だったのだろう。しかしながら、それを含んだうえでも彼には言っておかなければならないことがあった。 「いいか、岸本。よく覚えておけ。保護と過干渉は違う。人間が自然に積極的に干渉してしまうこと。あまつさえ、人間の世界に自分の都合で引き込もうとすること。いかなる理由があろうが、それはエゴ以外の何物でもない。窃盗と同じだ」  つくづく未遂で済んでよかったと僕は思った。もし、何かの手違いで卵が割れてしまったら? 人工孵化が失敗したら? そもそも親鳥が帰ってきて巣に卵がないことに気付けば、これは悲劇以外のなにものでもないわけだ。  そうなると目も当てられない。岸本くんは大きなトラウマを背負ったまま、それを誰にも言えずに学問を探求していかなければならなくなる。自己嫌悪の桎梏からは容易には逃れられないのだ。
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