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 電話を切った後、急いで身支度をしてホテルの客室を飛び出した。エレベーターのなかで深呼吸する。  胸の動悸がおさまらないのは、さっきの電話のせいだ。怖いくらいに低くて、それなのに「奥津先生」と呼ぶ声はどこかあまかった。そんな声をしているなんて想像すらしていなかったから、これはもうパニックに近い。  だから、エレベーターを降りて左手のロビーに彼の姿を認めた瞬間、今度は心臓が「ドキン」とものすごい音で鳴った。思わず胸を押えてしまったほどだ。  足を止めて、その姿を見つめる。こちらの視線に気づいた彼が、軽く手を上げて、その端正な顔にほほえみを浮かべた。 「奥津先生」  足早に近づいてくる。 「会いたかった」  あっと思った瞬間、包み込むように、抱きしめられていた。胸元からふわりと柑橘系の香りが漂い、背筋に痺れが走る。 「……(るい)、」 「本物だ。本物の奥津先生だ。……どうしよう、俺、嬉しすぎて死にそう」 「類、」 「夢じゃないよな。……先生、これ夢じゃないよね」 「夢じゃないから、離してくれ」 「嫌だ。ずっとずっと会いたくて、やっとこうして会えたのに」 「類!」  さらに腕に力を込めてくる類の背中を何度も叩いて、ようやく解放される。荒くなったと息を整える貴央(たかひさ)とは対照的に、類は目を細め、うっとりとした微笑みさえ浮かべて貴央を見つめている。
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