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朝日に透けるまつげが、私はとても好きでした。
もう会えない笑顔も、鼻にかかった声もみんな、私のお気に入りで、なにもかもが愛しくて仕方のない、だいじな宝物でした。
笑顔があなたにそっくりな、あの子は春から小学校で、赤いランドセルを背負ってくるくるダンスを踊っている。
その姿を慈しむように、あなたは買ったばかりのデジカメで何枚も、何枚も、同じ写真を撮っている。
こんなに近くで、こんなに大事で。
なのに、触れることもできない。
なのに、呼び掛けることもできない。
あの子に背負わせたくない、見せたくない汚い言葉やこころがなにもかも悲しくて、厭になって、私はとっさにいちばん、悲しい方法を選んでしまった。
写真たてには私だけ、モノクロに写っている。あの子はまだ幼稚園で、水色のスモックと黄色いバッグと帽子がよく似合っていた。実家の母に任せっきりで、私はすっかり、呑み込まれていた。
これだから母親は。
これだから子持ちは。
空気読んでよ。
休みすぎだよね。
困るわよ。
いらないよね、あんなひと
これ見よがしに交わされる、そのなかにはかつて自分も母親だった、母親である集団からの言葉。
私だということは、名指しにせずともわかっていて、繰り返される毎日と、あら探しの視線と小言が心を蝕んで、穴ぼこだらけにしていく。
灰色になった世界に、あなたもあの子も探し出せなくなった。
やがてなにもかも投げ出したくなって、私は、私は、私は……。
後悔と、もどかしさに満ちている。
とむらいにきていた人たちは、おくやみを述べるその口で、私を追い詰めた。
聞こえない声で、私は嘘つきと囁いた。
あなたたちがやったんだと。
あの子はずっと、彼らを、彼女らを睨んでいた。大変ねと、わざとらしくねぎらう声も手もふりはらって。
そのたびに、怯えて、そそくさと出ていったことが、やましさの証拠。
いやしい顔の子供だと、あとでヒソヒソ言っていたことも、後ろめたさの証拠。
あの子はもう小学生。
きっといい子に育つでしょう。
私がまだ家にいて、見ていることを知っている。
大丈夫よ。
大丈夫よ。
あいつらみたいな人たちは、ママがみんな追い払ってあげる。
そして、たくさんたくさん苦しめてあげるからね。
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