【蝸牛】黒須賀 恵菜 (くろすか えな)

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蝸牛(かたつむり)がヌメヌメとした粘液を 引きずりながら 左頬を舐めるように移動している。 視界に入る殻は僅かに動く。 頬骨からコメカミに向かって 方向転換を試みているようだ。 ……厭だ。 何も考えてはいけない。 黒須賀恵菜(くろすかえな)はそう何度も 自分に言い聞かせた。 それなのにうっかり 蝸牛と目が合いそうになる。 これは目? それとも触覚だろうか? いや。 頭から目一杯伸ばした 二本の角の先端には 虚ろな眼球らしきものが、ある。 「黒須賀さん…… 力を抜いて下さいね」 右頬からスタートした もう一匹の蝸牛は 相方とは逆に私の口に向かって 移動を始めた。 ヌラヌラと内臓めいた粘液が 皮膚上の毛穴という毛穴に じっとり浸透していく。 奴等が隙を見て鼻腔や耳腔から ずるりと侵入する妄想が頭に浮かんで 恵菜は身体中の産毛が逆立った。 ヒアルロン酸、コラーゲン、 プロオグリカンにアミノ酸。 多血小板注射に、幹細胞注射。 壁には化学の実験か? というような名前が フレンチレストランの メニューさながら 流れるような美しい書体で 書かれている。 ゆったりとした音楽が流れ アロマの漂うリラックスした空間。 ここは都内でも隠れ家的存在の エステだ。 蝸牛が顔面を陵辱する おぞましい状況とは 本来無縁な空間のハズなのに……。
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