黄昏

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昔から、見たくないものをたくさん見てきた。聞きたくない声をたくさん聞いてきた。そのせいで見たいものが見えなくて、聞きたい声が聞こえなかった。いつしかそれが当たり前になって、今となっては何を欲していたのかも分からない、思い出せない。心の奥底に沈めた何かはきっと、ほこりにまみれて元の姿を取り戻すことはないんだろう。 そんなこと、考えてみたりする。 世の中はどうやら平等を、平和を目指しているらしいじゃないか。偉い人は誰も口にしないけど、無理だってみんな分かっている。それでも、理想の旗を掲げることで集まる人たちが少なからずいるから、きっとできる気になってしまうんだろう。 生まれた場所も環境も違う。能力の差は生まれてしまうし、身長だってみんなばらばらだ。ましてや、家族や学校みたいな小さなコミュニティですら対立があるのに、言語の違う世界中の全員と仲良くやれってのにも無理がある。 人は誰しも調子の良い時には調子の良いことを言う。それこそ、平等だとか、平和だとか。でもそうじゃない時は?自分が辛い時は自分が世界一可哀想な人間だと思って落ち込み、人を思いやる気持ちは消え失せる。そのことを責めたいんじゃなくて、それが普通だということ。普通でいることが普通に理不尽なんだ。 そんな普通の人々が営むこの世界で俺は人よりも一つ多く、理不尽を持って生まれた。 学校からの帰り、なんとなく遠回りがしたくなった。二車線道路の大きな橋、下には川が流れていて、河川敷で犬の散歩をしている人、ランニングをしている人、黄昏れている人、様々な生き方が見える。視線を上げると夕日が沈んでいく様子がうかがえる。それは確かに目を奪われるものだった。 自転車を漕いで、そのまま通り過ぎればよかった。でもこの景色を前にして、写真に収めておきたくなって、止まって、携帯を構えた。それが運のつきだった。 「顔に似合わずロマンチストなんだ」 声が聞こえた。聞き慣れない女性の声。他人に話しかけられることすら珍しいのに、ましてや知らない人になんて。言われた悪口に対する怒りよりも先に、純粋な驚きを覚えてしまった。携帯を構えたまま首だけ動かし、声の主を見る。 見慣れない制服を身にまとった女子生徒。それがどうしてか、俺と目が合うと冷たい表情をしていた彼女はみるみるうちに口をあんぐり開けて驚いてみせた。 「……私の声が、聞こえるの?」
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